昭和時代【高校:日本史】 1926年 - 1989年

絵の並びは下に行くほど歴史的に新しい出来事です。

昭和時代(しょうわじだい)
昭和時代(しょうわじだい)

1926年 - 1989年

元号が「昭和」の時代。

昭和天皇(しょうわてんのう)
昭和天皇(しょうわてんのう)

1901年 - 1989年

第124代天皇(在位:1926年 - 1989年)。

第1次若槻礼次郎内閣(だいいちじわかつきれいじろうないかく)
第1次若槻礼次郎内閣(だいいちじわかつきれいじろうないかく)

1926年1月30日 - 1927年4月20日

若槻礼次郎が第25代内閣総理大臣に任命された内閣。

第一次若槻礼次郎内閣の時に大正から昭和になった。

1927年の金融恐慌に際し、若槻礼次郎内閣は台湾銀行を救済しようとしたが、枢密院の了承が得られずに総辞職した。

鈴木商店(すずきしょうてん)
鈴木商店(すずきしょうてん)

金子直吉に率いられた商社。

第一次大戦後の反動不況、関東大震災などで経営が行き詰まり、1927年に破綻した。

鈴木商店とは|鈴木商店とは|鈴木商店記念館

台湾銀行(たいわんぎんこう)
台湾銀行(たいわんぎんこう)

鈴木商店が経営破綻し、巨額の融資を行っていた台湾銀行は経営危機におちいった。

枢密院は台湾銀行の救済を了承しない(すうみついんはたいわんぎんこうのきゅうさいをりょうしょうしない)
枢密院は台湾銀行の救済を了承しない(すうみついんはたいわんぎんこうのきゅうさいをりょうしょうしない)

枢密院は台湾銀行の救済を了承しなかった。

田中義一内閣(たなかぎいちないかく)
田中義一内閣(たなかぎいちないかく)

1927年4月20日 - 1929年7月2日

田中義一が第26代内閣総理大臣に任命された内閣。

治安維持法を改正し、最高刑を死刑へと引き上げた。

張作霖爆殺事件の処理を巡って天皇の不興を買い総辞職した。

立憲政友会(りっけんせいゆうかい)
立憲政友会(りっけんせいゆうかい)

田中義一は第5代立憲政友会総裁(1925年4月 - 1929年9月)。

モラトリアム
モラトリアム

1927年

4月から3週間実施された銀行の支払い一時停止のこと。

金融恐慌に際して田中義一内閣が発し、恐慌は鎮静化した。

支払猶予令ともいう。

立憲民政党(りっけんみんせいとう)
立憲民政党(りっけんみんせいとう)

1927年

6月に憲政会と政友本党との合同により結党。

戦前の二大政党のひとつ。

初代総裁は浜口雄幸。

第2代総裁は若槻礼次郎。

日本の地下鉄(にほんのちかてつ)
日本の地下鉄(にほんのちかてつ)

1927年

12月に東京に浅草 - 上野間を走る地下鉄が開通し、日本初の本格的な地下鉄とされた。

第一回普通選挙(だいいっかいふつうせんきょ)
第一回普通選挙(だいいっかいふつうせんきょ)

1928年

25歳以上の全ての男性に選挙権が与えられた第一回普通選挙が2月に行われ、無産政党勢力が8名の当選者を出すと日本共産党が公然と活動を開始した。

無産政党が議席を獲得する(むさんせいとうがぎせきをかくとくする)
無産政党が議席を獲得する(むさんせいとうがぎせきをかくとくする)

第一回普通選挙で無産政党が議席を獲得した。

三・一五事件(さんいちごじけん)
三・一五事件(さんいちごじけん)

1928年3月15日

第1回男子普通選挙で無産政党勢力が当選したことを受け、田中義一内閣が共産党員の一斉検挙を行った事件。

労働農民党や日本労働組合評議会などの関連団体を解散させた。

戦旗(せんき)
戦旗(せんき)

1928年5月 - 1931年12月

日本の文芸雑誌。プロレタリア文学の作品の重要な発表舞台となっていた。

小林多喜二の『一九二八年三月十五日』『蟹工船』、徳永直の『太陽のない街』などの話題作を次々と掲載した。

張作霖(ちょうさくりん)
張作霖(ちょうさくりん)

1875年 - 1928年

満州軍閥。

田中義一内閣が支援したが、国民革命軍に敗北した。

張作霖爆殺事件(ちょうさくりんばくさつじけん)
張作霖爆殺事件(ちょうさくりんばくさつじけん)

1928年

満州へ帰還途上の張作霖を、関東軍が独断で奉天郊外で列車ごと爆殺した事件。

当時、事件の真相は国民に知らされず、満州某重大事件と呼ばれた。

田中義一内閣は首謀者の河本大作を停職にしただけで一件落着としたが、天皇の不興をかい総辞職した。

張作霖の子で後継者の張学良は国民政府に合流した。

関東軍が張作霖を爆殺する
関東軍が張作霖を爆殺する

1928年

大日本帝国陸軍の軍の一つである関東軍が独断で張作霖を爆殺した。

関東軍(かんとうぐん)
関東軍(かんとうぐん)

大日本帝国陸軍の軍の一つ。

中華民国からの租借地であった関東州(遼東半島先端)の守備、および南満州鉄道付属地警備を目的とした関東都督府の守備隊が前身。

河本大作(こうもとだいさく)
河本大作(こうもとだいさく)

1883年 - 1955年

張作霖爆殺事件の首謀者。

田中義一内閣は首謀者の河本大作を停職にしただけで一件落着とした。

治安維持法改正(ちあんいじほうかいせい)
治安維持法改正(ちあんいじほうかいせい)

1928年

6月29日、田中義一内閣は治安維持法を緊急勅令で改正し、刑罰を厳罰化し、最高刑を死刑とした。

国体を変革することを目的とした結社を組織した者または参加した者を死刑または無期または5年以上の禁固刑とした。

私有財産制度を否認することを目的として結社を組織、または加入したものを10年以下の懲役または禁固刑とした。

死刑(しけい)
死刑(しけい)

1928年

6月29日、田中義一内閣が治安維持法を緊急勅令で改正し、最高刑を死刑へと引き上げた。

不戦条約(ふせんじょうやく)
不戦条約(ふせんじょうやく)

1928年8月に各国が署名

国際紛争の処理を目的とした多国間条約。

国際紛争を解決する手段としての戦争を禁止し、平和的解決を約束した。

ただし、各国の自衛権は認められ、戦争を抑止する強制力もなかった。

フランスのパリで締結されたため、パリ不戦条約、パリ条約などとも呼ばれる。

『蟹工船』(かにこうせん)
『蟹工船』(かにこうせん)

1929年発表。

小林多喜二の代表作。

小林多喜二(こばやしたきじ)
小林多喜二(こばやしたきじ)

1903年 - 1933年。

プロレタリア作家。

代表作は『蟹工船』。

徳永直(とくながすなお)
徳永直(とくながすなお)

1899年 - 1958年。

プロレタリア作家。

代表作は『太陽のない街』。

『太陽のない街』(たいようのないまち)
『太陽のない街』(たいようのないまち)

1929年発表。

徳永直の代表作。

徳永直が自らの体験を素材に、労働者たちの争議を描いた。

浜口雄幸内閣(はまぐちおさちないかく)
浜口雄幸内閣(はまぐちおさちないかく)

1929年7月2日 - 1931年4月14日

浜口雄幸が第27代内閣総理大臣に任命された内閣。

外務大臣に幣原喜重郎を起用し協調外交を行う。井上準之助蔵相を起用して金輸出解禁、緊縮政策、産業合理化を断行した。1930年ロンドン海軍軍縮条約を結んだが、右翼からの反感を買い、首相の浜口は銃撃され執務不能となった。幣原が臨時代理を務めたが、失言をきっかけに攻撃を受け、入院中の浜口が杖を突きながら復帰したが、病状の悪化により総辞職した。

井上準之助(いのうえじゅんのすけ)
井上準之助(いのうえじゅんのすけ)

1869年 - 1932年

日本の政治家。財政家。日本銀行第9、11代総裁。

浜口雄幸内閣の大蔵大臣として入閣し、1930年に金の輸出を解禁して金本位制に復帰する金輸出解禁を行った。

金解禁(きんかいきん)
金解禁(きんかいきん)

1930年

金貨及び金地金の輸出許可性を廃止して金本位制に復帰すること。

金輸出解禁ともいう。

浜口雄幸内閣が為替相場を安定させる目的で実施した。

この頃世界恐慌が発生していたためこの政策は失敗し、昭和恐慌になった。

年号の覚え方は「一休さん(193)、無し(0)だよそれは、金解禁」です。

金本位制(きんほんいせい)
金本位制(きんほんいせい)

金を通貨の価値基準とする制度のこと。

為替相場の変動幅が一定限度内に抑えられるため、貨幣価値の安定に寄与する。

石橋湛山(いしばしたんざん)
石橋湛山(いしばしたんざん)

1884年 - 1973年

1930年の金本位制復帰に先立ち、石橋湛山は新平価での復帰を主張したが認められず、旧平価での解禁となった。

昭和恐慌(しょうわきょうこう)
昭和恐慌(しょうわきょうこう)

1930年 - 1931年

蔵相の失言をきっかけに銀行への取り付け騒ぎがおこり、昭和恐慌がはじまった。

昭和恐慌で農産物価が暴落し、その後都市の失業者の帰農や凶作で農業恐慌に苦しんだことを背景として救農土木事業が行われた。

欠食児童(けっしょくじどう)
欠食児童(けっしょくじどう)

昭和恐慌により与えられない子供のこと。

特に学校に弁当を持っていくことができない子を指す。

娘の身売り(むすめのみうり)
娘の身売り(むすめのみうり)

昭和恐慌により、貧しい家庭が娘を売った人身売買。

ロンドン海軍軍縮会議(ろんどんかいぐんぐんしゅくかいぎ)
ロンドン海軍軍縮会議(ろんどんかいぐんぐんしゅくかいぎ)

1930年

イギリス、日本、アメリカ、フランス、イタリアの五大海軍国による軍縮会議。これによりロンドン海軍軍縮条約が結ばれたが、国内で条約への賛成派と反対派の対立構造が生まれ、条約に不満な者たちの中には血盟団事件、五・一五事件など後のテロ事件の首謀者らもいた。

枢密院がロンドン海軍軍縮条約に同意する(すうみついんがロンドンかいぐんぐんしゅくじょうやくにどういする)
枢密院がロンドン海軍軍縮条約に同意する(すうみついんがロンドンかいぐんぐんしゅくじょうやくにどういする)

ロンドン海軍軍縮条約に関して、枢密院は満場一致で可決した。

トーキー映画(とーきーえいが)
トーキー映画(とーきーえいが)

1931年

日本でも画面と音声が一体となったトーキー映画が制作、上映されるようになった。

第2次若槻礼次郎内閣(だいにじわかつきれいじろうないかく)
第2次若槻礼次郎内閣(だいにじわかつきれいじろうないかく)

1931年4月14日 - 1931年12月13日

若槻礼次郎が第28代内閣総理大臣に任命された内閣。

浜口雄幸襲撃事件後の立憲民政党総裁として若槻礼次郎が組閣した。

若槻礼次郎が立憲民政党総裁になる(わかつきれいじろうがりっけんみんせいとうそうさいになる)
若槻礼次郎が立憲民政党総裁になる(わかつきれいじろうがりっけんみんせいとうそうさいになる)

浜口雄幸が立憲民政党の初代総裁だったが、浜口雄幸襲撃事件後は若槻礼次郎が二代目総裁となった。

立憲民政党は戦前の二大政党のひとつで、立憲政友会と対立した。

立憲政友会(りっけんせいゆうかい)
立憲政友会(りっけんせいゆうかい)

戦前の二大政党のひとつ。

立憲民政党と対立した。

柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)
柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)

1931年

9月に満州の奉天近郊の柳条湖付近で日本の所有する南満州鉄道の線路が爆破された事件。

関東軍はこれを中国軍による犯行と発表することで、満州における軍事展開およびその占領の口実とした。

しかし、実際は関東軍の部隊によって実行された謀略事件であった。

満州事変(まんしゅうじへん)
満州事変(まんしゅうじへん)

1931年

柳条湖で1931年9月18日に起きた鉄道爆破事件に始まる日本の中国東北部への侵略戦争。翌年満州国独立を宣言した。

新興財閥(しんこうざいばつ)
新興財閥(しんこうざいばつ)

満州事変以後、軍部と結びついた新興財閥は、朝鮮・満州へ活発な投資を行った。

犬養毅内閣(いぬかいつよしないかく)
犬養毅内閣(いぬかいつよしないかく)

1931年12月13日 - 1932年5月26日

犬養毅が第29代内閣総理大臣に任命された内閣。

高橋是清大蔵大臣が金輸出を再禁止し管理通貨制度に移行する
高橋是清大蔵大臣が金輸出を再禁止し管理通貨制度に移行する

犬養毅内閣の下で大蔵大臣となった高橋是清は金輸出を再禁止し、実質的な管理通貨制度に移行した。

金本位制停止(きんほんいせいていし)
金本位制停止(きんほんいせいていし)

1931年

日本は1931年に金本位制を停止した。

それ以来、復帰したことはない。

参考
昭和6年(1931)12月|金輸出が再び禁止される:日本のあゆみ

管理通貨制度(かんりつうかせいど)
管理通貨制度(かんりつうかせいど)

1932年

金本位制離脱後、高橋是清蔵相のもとで日本は実質的に管理通貨制度に移行し、政府が最高発行額を管理・統制した。

血盟団事件(けつめいだんじけん)
血盟団事件(けつめいだんじけん)

1932年

近県の青年を集めて政治活動を行っていた井上日召がテロリズムによって性急な国家改造計画を企てた連続テロ(政治暗殺事件)。

政財界の要人が多数狙われ、井上準之助団琢磨が暗殺された。

犯人たちはその後逮捕された。

血盟団事件で井上準之助が暗殺される
血盟団事件で井上準之助が暗殺される

1932年

金輸出解禁を行ったことで有名な井上準之助が血盟団事件で暗殺された。

団琢磨(だんたくま)
団琢磨(だんたくま)

1858年 - 1932年

日本の工学者。実業家。男爵。三井財閥総裁。三井合名会社理事長。日本工業倶楽部初代理事長。

1932年3月5日に暗殺された(血盟団事件)。

五・一五事件(ごいちごじけん)
五・一五事件(ごいちごじけん)

1932年5月15日に日本で起きた反乱事件。

武装した海軍の青年将校たちが総理大臣官邸に乱入し、内閣総理大臣犬養毅を殺害した。鎮圧された。

年号の覚え方は「戦(いくさ)(193)に(2)なるぞ!?Go!(5)行こー!(15)、海軍将校、犬養暗殺」です。

斎藤実内閣(さいとうまことないかく)
斎藤実内閣(さいとうまことないかく)

1932年5月26日 - 1934年7月8日

斎藤実が第30代内閣総理大臣に任命された内閣。農業恐慌に対処するため1932年に農山漁村経済更生運動を行った。

農山漁村経済更生運動(のうさんぎょそんけいざいこうせいうんどう)
農山漁村経済更生運動(のうさんぎょそんけいざいこうせいうんどう)

1932年から実施された昭和農業恐慌後の救済のための対策運動。

農村の経済状態の改善を図った。

リットン報告書(りっとんほうこくしょ)
リットン報告書(りっとんほうこくしょ)

リットン調査団が満州事変に関し調査を行い、満州国に関する日本の主張を否定した報告書。

国際連盟脱退(こくさいれんめいだったい)
国際連盟脱退(こくさいれんめいだったい)

1933年

日本は満州事変を調査したリットン報告書にもとづく国際連盟の勧告を拒否して3月に連盟を脱退した。

松岡洋右(まつおかようすけ)
松岡洋右(まつおかようすけ)

1880年 - 1946年

外交官。政治家。

日本が国際連盟を脱退した時の日本の代表。

塘沽停戦協定(タンクーていせんきょうてい)
塘沽停戦協定(タンクーていせんきょうてい)

1933年

5月に日中間で結ばれた満州事変の事実上の講和条約。これにより争いは一応終息した。

年号の覚え方は「戦(いくさ)(193)み(3)な嫌、塘沽停戦協定」です。

岡田啓介内閣(おかだけいすけないかく)
岡田啓介内閣(おかだけいすけないかく)

1934年7月8日 - 1936年3月9日

岡田啓介が第31代内閣総理大臣に任命された内閣。

天皇機関説問題の対応を行う。

二・二六事件の発生で義弟などを亡くし自責の念にかられ、岡田は3月9日に内閣を総辞職した。

美濃部達吉(みのべたつきち)
美濃部達吉(みのべたつきち)

1873年 - 1948年

法学者。憲法学者。政治家。法政大学教員。東京帝国大学名誉教授。

天皇機関説を主張し、大正デモクラシーにおける代表的理論家として知られる。1935年に天皇機関説事件により貴族院議員を辞職した。

天皇機関説事件(てんのうきかんせつじけん)
天皇機関説事件(てんのうきかんせつじけん)

1935年

天皇機関説とは「統治権は法人である国家に属し、国の最高機関である天皇が国務大臣の輔弼を受けて行使する」として、軍事に関する天皇大権への内閣の権限を根拠づけた説だが、解釈学説が不敬であると軍部と野党が攻撃し、美濃部達吉は貴族議員を辞職した。

国体明徴声明(こくたいめいちょうせいめい)
国体明徴声明(こくたいめいちょうせいめい)

1935年

美濃部達吉の天皇機関説を否定するために岡田啓介内閣が出した政府声明。

天皇機関説が天皇を統治機構の一機関としているのに対し、国体明徴声明では天皇が統治権の主体であることを明示し、日本が天皇の統治する国家であると宣言した。

伊波普猷(いはふゆう)
伊波普猷(いはふゆう)

1876年 - 1947年

民俗学者。言語学者。沖縄学の父。

琉球の古代歌謡である『おもろさうし』を研究して沖縄民俗学を創始した。

1935年には國學院大學でおもろの講義を担当した。

二・二六事件(ににろくじけん)
二・二六事件(ににろくじけん)

1936年2月26日 - 1936年2月29日

国家改造・軍部政権樹立をめざして、皇道派の青年将校たちが、約1400名の兵を率いて首相官邸・警視庁などを襲い、国会を含む国政の心臓部を占拠した事件。

天皇が厳罰を指示したこともあり、反乱軍として鎮圧された。

皇道派(こうどうは)
皇道派(こうどうは)

統制派と対立する陸軍の派閥。

天皇親政の国家改革をとなえた。

統制派(とうせいは)
統制派(とうせいは)

皇道派と対立する陸軍の派閥。

二・二六事件後、皇道派を排除して陸軍内での主導権を確立し、陸軍の政治的発言力は強まった。

広田弘毅内閣(ひろたこうきないかく)
広田弘毅内閣(ひろたこうきないかく)

1936年3月9日 - 1937年2月2日

広田弘毅が第32代内閣総理大臣に任命された内閣。

二・二六事件後、閣僚の人選や軍備拡張・財政改革などについて軍の要求を入れてかろうじて成立。

陸軍の要求に従って山本権兵衛内閣が廃止していた軍部大臣現役武官制を1936年に復活した。

日独防共協定(にちどくぼうきょうきょうてい)
日独防共協定(にちどくぼうきょうきょうてい)

1936年11月

日本とドイツの間に結ばれた協定。

コミンテルンの活動に対抗するため、およびソ連に対する軍事牽制を目的とした。

翌年にはイタリアも参加して日独伊三国防共協定となった。

西安事件(せいあんじけん)
西安事件(せいあんじけん)

1936年

12月に張学良らが蒋介石を拉致監禁するという事件が起きる。

この事件をきっかけに第2次国共合作が実現した。

蒋介石(しょうかいせき)
蒋介石(しょうかいせき)

1887年 - 1975年

中華民国の政治家、軍人。

西安事件をきっかけとして第2次国共合作が実現した。

張学良(ちょうがくりょう)
張学良(ちょうがくりょう)

1901年 - 2001年

中華民国の政治家、軍人。張作霖の長男。

西安事件を起こす。

周恩来(しゅうおんらい)
周恩来(しゅうおんらい)

1898年 - 1976年

中国の政治家。

西安事件において蒋介石と張学良の間を仲介した。

国体の本義(こくたいのほんぎ)
国体の本義(こくたいのほんぎ)

1937年3月30日

「日本とはどのような国か」を明らかにしようとするために、当時の文部省が学者たちを結集して編纂した書物。神勅や万世一系が冒頭で強調されており、国体明徴運動の理論的な意味づけとなった。

第1次近衛文麿内閣(だいいちじこのえふみまろないかく)
第1次近衛文麿内閣(だいいちじこのえふみまろないかく)

1937年6月4日 - 1939年1月5日

近衛文麿が第34代内閣総理大臣に任命された内閣。

中小小売商の保護、百貨店間の競争抑制などを目的に1937年に百貨店法を制定。1938年に蒋介石率いる国民政府に対して「国民政府を対手とせず」との声明を出し、同政府との交渉による和平の道を閉ざした。

盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)
盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)

1937年

北京議定書での取り決めにより北京郊外の盧溝橋で現地に駐屯していた日本軍と、中国軍との間で発生した武力衝突。

現地では一時、停戦協定が成立したものの戦線は拡大し、8月に入ると華中の上海でも大規模な戦闘が始まった。

これをきっかけとして、日中戦争が開始されることとなった。

日中戦争(にっちゅうせんそう)
日中戦争(にっちゅうせんそう)

1937年 - 1945年

中華民国と大日本帝国の間で行われた戦争。勃発当時は支那事変としていた。日本が負けた。

南京の場所(なんきんのばしょ)
南京の場所(なんきんのばしょ)

南京は日中戦争勃発時の中華民国の首都。

神社参拝の強制(じんじゃさんぱいのきょうせい)
神社参拝の強制(じんじゃさんぱいのきょうせい)

日中戦争期の頃、朝鮮では神社参拝が強制された。

日本語使用の強制(にほんごしようのきょうせい)
日本語使用の強制(にほんごしようのきょうせい)

日中戦争期の頃、朝鮮では日本語使用が強制された。

毛沢東(もうたくとう)
毛沢東(もうたくとう)

1893年 - 1976年

中華人民共和国の政治家、軍事戦略家、思想家。

日中戦争を経て中国共産党党内の指導権を獲得した。

東亜新秩序の建設(とうあしんちつじょのけんせつ)
東亜新秩序の建設(とうあしんちつじょのけんせつ)

日本の日中戦争における目的、スローガンとして「東亜新秩序の建設」が唱えられた。

朝鮮の皇民化政策(ちょうせんのこうみんかせいさく)
朝鮮の皇民化政策(ちょうせんのこうみんかせいさく)

日中戦争期には朝鮮に神社参拝や日本語の使用を強制した。

国民精神総動員運動(こくみんせいしんそうどういんうんどう)
国民精神総動員運動(こくみんせいしんそうどういんうんどう)

日中戦争開始後、第一次近衛文麿内閣が戦争協力体制を作るために起こした運動。挙国一致をスローガンに、国民の戦意高揚と戦争協力を促した。

企画院(きかくいん)
企画院(きかくいん)

1937年に設置された、内閣直属の物資動員・重要政策の企画立案機関。

企画院が立案した物資動員計画によって軍需品が優先的に生産されるようになると、国民の生活に必要な物資の不足が進んだ。

満蒙開拓青少年義勇軍(まんもうかいたくせいしょうねんぎゆうぐん)
満蒙開拓青少年義勇軍(まんもうかいたくせいしょうねんぎゆうぐん)

1937年発足

日中戦争において満州に若年層を送り出した。

日独伊三国防共協定(にちどくいさんごくぼうきょうきょうてい)
日独伊三国防共協定(にちどくいさんごくぼうきょうきょうてい)

1937年

1937年11月、コミンテルンおよびソ連に対抗するため、日本、ドイツ、イタリアの間に結ばれた協定。コミンテルンの活動に反対すること、相互に情報交換と緻密な協力を行うことなどが定められていたが、秘密文書では明確にソ連をその対象としていた。

南京占領(なんきんせんりょう)
南京占領(なんきんせんりょう)

1937年

日本軍が中国国民政府の首都である南京を占領した。

矢内原忠雄(やないはらただお)
矢内原忠雄(やないはらただお)

1893年 - 1961年

植民政策学専門の東大教授。

論文「国家の理想」が右翼から攻撃され、1937年12月に大学を辞職した(矢内原事件)。

戦後は復職し、のちに東大総長を務めた。

国民政府を対手とせず(こくみんせいふをあいてとせず)
国民政府を対手とせず(こくみんせいふをあいてとせず)

1938年

日中戦争中の1938年に第1次近衛文麿内閣が出した声明。

これにより両国間の外交関係は断絶。日本政府は国民政府との話し合いを自ら放棄し、戦争終結の手がかりを失うことになった。

国家総動員法(こっかそうどういんほう)
国家総動員法(こっかそうどういんほう)

1938年

4月に公布され、政府は議会の承認なしに、戦争遂行に必要な物資や労働力を動員する権限を与えられた。

この法により、政府は議会から立法について白紙委任され、議会の協賛権は有名無実となった。

議会の承認がいらなくなった(ぎかいのしょうにんがいらなくなった)
議会の承認がいらなくなった(ぎかいのしょうにんがいらなくなった)

国家総動員法により、政府は議会の承認なしに戦争遂行に必要な物資や労働力を動員することが可能となった。

国家総動員法によって政府は議会から立法について白紙委任され、議会の協賛権は有名無実となった。

張鼓峰事件(ちょうこほうじけん)
張鼓峰事件(ちょうこほうじけん)

1938年

日本軍とソ連軍の国境紛争。

7月に発生。8月に停戦。

産業報国会(さんぎょうほうこくかい)
産業報国会(さんぎょうほうこくかい)

1938年

日中戦争遂行に協力させるために1938年に職場ごとに結成された労働団体組織。

労働組合・労働団体は漸次解散し、産業報国会に吸収されていった。

石川達三(いしかわたつぞう)
石川達三(いしかわたつぞう)

1905年 - 1985年

小説家。

中国戦線における日本軍を題材にした小説『生きてゐる兵隊』を1938年に発表した。

大内兵衛(おおうちひょうえ)
大内兵衛(おおうちひょうえ)

1888年 - 1980年

元東京大学教授。法政大学総長。大正・昭和期の日本のマルクス経済学者。日本学士院会員。

1938年に人民戦線の結成を企図したとして治安維持法により検挙(人民戦線事件)された。

河合栄治郎(かわいえいじろう)
河合栄治郎(かわいえいじろう)

1891年 - 1944年

東京帝国大学教授。

ファシズム批判を理由に1939年に休職処分となった(河合栄治郎事件)。

平沼騏一郎内閣(ひらぬまきいちろうないかく)
平沼騏一郎内閣(ひらぬまきいちろうないかく)

1939年1月5日 - 1939年8月30日

平沼騏一郎が第35代内閣総理大臣に任命された内閣。1939年に国民徴用令を出した。

ノモンハン事件(のもんはんじけん)
ノモンハン事件(のもんはんじけん)

1939年

満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線を巡って発生した紛争。日本とソビエト連邦の間で断続的に発生した国境紛争のひとつ。

国民徴用令(こくみんちょうようれい)
国民徴用令(こくみんちょうようれい)

1939年

戦時における労働力の不足を補うため強制的に国民を徴集し、生産に従事させることを目的とする勅令。

阿部信行内閣(あべのぶゆきないかく)
阿部信行内閣(あべのぶゆきないかく)

1939年8月30日 - 1940年1月16日

阿部信行が第36代内閣総理大臣に任命された内閣。日中戦争の長期化により生活物資が不足する中、1939年に価格等統制令を出し、物価などの価格を統制したが、この法令により国民の窮乏化はさらに促進された。

第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)
第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)

1939年 - 1945年

ドイツ、日本、イタリアの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、アメリカ 、などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の巨大戦争。人類史上最大の大戦争。連合国側が勝利した。

国債(こくさい)
国債(こくさい)

第二次世界大戦に際して、日本は国民に多くの国債を購入させて戦費を調達した。これは形式的には償還されたものの、戦後の急激なインフレによって、政府は国民から借りた金を半ば踏み倒した格好となった。

参考
個人向け国債窓口トップページ : 財務省

価格等統制令(かかくとうとうせいれい)
価格等統制令(かかくとうとうせいれい)

1939年

日中戦争期に政府は物価上昇と物資不足に対応するため価格等統制令を出し物価や運送費、賃貸料などほとんどすべての価格を統制し、値上げを禁止した。

円ブロック(えんブロック)
円ブロック(えんブロック)

日本の領土や、満州および中国における占領地などで、金や外貨を使わずに決済が可能な日本の排他的な経済圏。

斎藤隆夫の反軍演説(さいとうたかおのはんぐんえんぜつ)
斎藤隆夫の反軍演説(さいとうたかおのはんぐんえんぜつ)

1940年

政治家の斎藤隆夫が帝国議会で反軍演説を行い、衆議院議員を除名された。

切符制(きっぷせい)
切符制(きっぷせい)

1940年

日本で実施された制度。

砂糖・マッチなどの消費を制限するため、一年間に使用できる一人あたりの総点数を決め、定められた点数の切符を渡さないと商品が購入できない切符制が実施された。

供出制度(きょうしゅつせいど)
供出制度(きょうしゅつせいど)

1940年

政府が農家から米を強制的に買い上げる制度。

食糧不足への対応として実施された。

第2次近衛文麿内閣(だいにじこのえふみまろないかく)
第2次近衛文麿内閣(だいにじこのえふみまろないかく)

1940年7月22日 - 1941年7月18日

近衛文麿が第38代内閣総理大臣に任命された内閣。

ドイツ・イタリアとの提携を強化し、日独伊三国同盟(三国軍事同盟)を結んだ。

北部仏印進駐(ほくぶふついんしんちゅう)
北部仏印進駐(ほくぶふついんしんちゅう)

1940年9月

日本はドイツ軍のフランス侵攻の機会をとらえて、軍隊を北部仏印(フランス領インドシナ北部)に進駐した。

日独伊三国同盟(にちどくいさんごくどうめい)
日独伊三国同盟(にちどくいさんごくどうめい)

1940年9月

日本、ドイツ、イタリアの間で締結された同盟。第二次世界大戦における枢軸国の原型となった。

大政翼賛会(たいせいよくさんかい)
大政翼賛会(たいせいよくさんかい)

1940年10月 - 1945年6月

日中戦争が本格化する中で「日本も強力なリーダーシップに率いられる組織が必要では」という新体制運動が高まり、近衛文磨を総裁として大政翼賛会という組織が結成された。

大日本産業報国会(だいにほんさんぎょうほうこくかい)
大日本産業報国会(だいにほんさんぎょうほうこくかい)

1940年

労働組合・労働団体は解散させられて産業報国会に吸収されたが、11月にその産業報国会の全国連合体である大日本産業報国会が結成された。

年号の覚え方は「行くよ(194)日の丸(0)大日本産業報国会」です。

内閣情報局(ないかくじょうほうきょく)
内閣情報局(ないかくじょうほうきょく)

1940年12月に言論・思想や新聞・雑誌による報道統制を目的として設置された日本の内閣直属の情報機関。

日ソ中立条約(にっそちゅうりつじょうやく)
日ソ中立条約(にっそちゅうりつじょうやく)

1941年

日中戦争が始まると、日本とソ連の間で幾度か武力衝突(「張鼓峰事件」・「ノモンハン事件」)が起こったものの本格的な戦争にはならず、両国にとって懸案であった不侵略条約締結が急がれ1941年4月「日ソ中立条約」として実現した。

配給制(はいきゅうせい)
配給制(はいきゅうせい)

1941年

消費を制限するために米が配給制となった。

独ソ戦争(どくそせんそう)
独ソ戦争(どくそせんそう)

1941年6月に突如ドイツ国防軍がソ連に侵入し戦争状態になった。

関東軍特種演習(かんとうぐんとくしゅえんしゅう)
関東軍特種演習(かんとうぐんとくしゅえんしゅう)

1941年

同年におこった独ソ戦争を受けての対応として、7月に対ソ戦準備の名目で70万人の兵力の結集を図った。

関特演(かんとくえん)ともいう。

アメリカが石油の対日輸出を禁じた(あめりかがせきゆのたいにちゆしゅつをきんじた)
アメリカが石油の対日輸出を禁じた(あめりかがせきゆのたいにちゆしゅつをきんじた)

1941年8月

石油などの資源獲得を目的とした南方進出用の基地を設置するために、日本は仏領インドシナ南部に進駐した(南部仏印進駐)。これに対する制裁という名目でアメリカは日本への石油輸出を全面禁止した。

東条英機内閣(とうじょうひできないかく)
東条英機内閣(とうじょうひできないかく)

1941年10月18日 - 1944年7月22日

東条英機が第40代内閣総理大臣に任命された内閣。

この内閣のもとで翼賛選挙が行われた。

太平洋戦争(たいへいようせんそう)
太平洋戦争(たいへいようせんそう)

1941年

12月8日、日本海軍のハワイ攻撃と陸軍のマレー半島およびタイのシンゴラ上陸により開始された戦争。

1945年8月のポツダム宣言受諾の結果、日本の敗北で終了した。

大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん)
大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん)

太平洋戦争中、日本が中国・東南アジアへの侵略を正当化するために唱えたスローガン。

翼賛選挙(よくさんせんきょ)
翼賛選挙(よくさんせんきょ)

1942年

4月に東条英機内閣の下で第21回衆議院議員総選挙が行われたが、第二次世界大戦下で行われた唯一の国政選挙であり、一般に翼賛選挙と呼ばれる。。

尾崎行雄(おざきゆきお)
尾崎行雄(おざきゆきお)

1858年 - 1954年

翼賛選挙で非推薦候補者の一人として当選した。

芦田均(あしだひとし)
芦田均(あしだひとし)

1887年 - 1959年

翼賛選挙で非推薦候補者の一人として当選した。後の第47代内閣総理大臣。

鳩山一郎(はとやまいちろう)
鳩山一郎(はとやまいちろう)

1883年 - 1959年

翼賛選挙で非推薦候補者の一人として当選した。後の第52・53・54代内閣総理大臣。

日本文学報国会(にほんぶんがくほうこくかい)
日本文学報国会(にほんぶんがくほうこくかい)

戦争に協力する文学者団体として、日本文学報国会が1942年に設立された。

ミッドウェー海戦(ミッドウェーかいせん)
ミッドウェー海戦(ミッドウェーかいせん)

1942年

6月に日本海軍とアメリカ海軍との間で行われた戦い。

日本は、航空母艦4隻を失う大敗北を喫した。

イタリアの降伏(イタリアのこうふく)
イタリアの降伏(イタリアのこうふく)

1943年

第二次世界大戦においてイタリアが降伏した。

大東亜会議(だいとうあかいぎ)
大東亜会議(だいとうあかいぎ)

1943年

大東亜会議が開催された。

カイロ会談(カイロかいだん)
カイロ会談(カイロかいだん)

1943年

米国大統領フランクリン=ローズヴェルト、英国首相チャーチル、中国総統蒋介石が出席してエジプトのカイロで開かれた会談。

日本の無条件降伏まで連合国が徹底して戦うことが決められ、第一次世界大戦以降に日本が取得した太平洋上の諸島の剥奪や満州・台湾・膨湖諸島の中華民国への返還、朝鮮の独立の方針などが決められた。

カイロ宣言(カイロせんげん)
カイロ宣言(カイロせんげん)

1943年

米国大統領フランクリン=ローズヴェルト、英国首相チャーチル、中国総統蒋介石が発表した対日戦の基本目的についての宣言。日本の無条件降伏要求と降伏後の日本領土の処分方針の決定、朝鮮の独立などがその内容。

ポツダム宣言の基礎となった。

勤労動員(きんろうどういん)
勤労動員(きんろうどういん)

太平洋戦争期における労働力不足を補うために、1943年以降、学生・生徒を強制的に軍需産業に徴集した。

サイパン陥落(さいぱんかんらく)
サイパン陥落(さいぱんかんらく)

1944年

日本軍の南方の防衛線であったサイパン島にアメリカ軍が上陸し、サイパンが陥落した。

これにより、アメリカ軍はここを拠点として日本本土への空襲を本格化する。

東条英機内閣の総辞職(とうじょうひできないかくのそうじしょく)
東条英機内閣の総辞職(とうじょうひできないかくのそうじしょく)

1944年

7月にサイパン陥落の責任を取り総辞職した。

疎開(そかい)
疎開(そかい)

空襲や災害に備えて都市などに密集している住民や建物を地方に分散すること。

女子挺身隊(じょしていしんたい)
女子挺身隊(じょしていしんたい)

1944年8月の女子挺身勤労令によって未婚の女性が組織され、おもに軍需工場の労働力として動員された。

ヤルタ会談(やるたかいだん)
ヤルタ会談(やるたかいだん)

1945年

2月にソ連、アメリカ、イギリスが行ったヨーロッパの戦後処理をめぐる会談。

この際、ソ連はイギリス・アメリカとドイツ降伏後には対日参戦することを密かに約束していた。

東京大空襲(とうきょうだいくうしゅう)
東京大空襲(とうきょうだいくうしゅう)

1945年

3月10日、東京大空襲が行われた。

ひめゆり隊(ひめゆりたい)
ひめゆり隊(ひめゆりたい)

1944年12月に看護訓練によって作られ、1945年の沖縄戦の際に看護要員として動員された女子生徒。

沖縄戦では、ひめゆり隊など女子生徒の看護要員から多くの死者が出た。

中国残留孤児(ちゅうごくざんりゅうこじ)
中国残留孤児(ちゅうごくざんりゅうこじ)

満州の日本人の中には、1945年のソ連の参戦で厳しい状況のなか、子供を中国人に託して帰国せざるをえない人もいた。

中国人に育てられた日本人の子供を中国残留孤児という。

沖縄戦(おきなわせん)
沖縄戦(おきなわせん)

1945年

太平洋戦争末期に連合国軍と日本軍との間で行われた戦い。

アメリカ軍は1945年3月27日に渡嘉敷島、4月1日に沖縄本島に上陸し、6月23日に日本軍が玉砕した。

鈴木貫太郎内閣(すずきかんたろうないかく)
鈴木貫太郎内閣(すずきかんたろうないかく)

1945年4月7日 - 1945年8月17日

ポツダム宣言を受諾した。

ポツダム宣言(ポツダムせんげん)
ポツダム宣言(ポツダムせんげん)

1945年

英・米・中の3国の名で出された日本への降伏勧告宣言。

広島市への原子爆弾投下(ひろしましへのげんしばくだんとうか)
広島市への原子爆弾投下(ひろしましへのげんしばくだんとうか)

1945年

8月6日にアメリカ軍が日本の広島市に対して核兵器「リトルボーイ」を実戦使用した。

人類史上、初めて実戦で行われた核攻撃。

参考
広島平和記念資料館

原爆ドーム(げんばくどーむ)
原爆ドーム(げんばくどーむ)

広島で保存されている、人類がはじめて使用した原子爆弾の惨禍を伝える被爆建造物。

広島市 原爆ドーム - トップページ

長崎市への原子爆弾投下(ながさきしへのげんしばくだんとうか)
長崎市への原子爆弾投下(ながさきしへのげんしばくだんとうか)

1945年

8月9日にアメリカ軍が日本の長崎市に対して核兵器「ファットマン」を実戦使用した。

人類史上、実戦で行われた最後の核攻撃。

参考
日本語ポータル | 長崎市 平和・原爆

ソ連対日参戦(それんたいにちさんせん)
ソ連対日参戦(それんたいにちさんせん)

1945年

8月9日未明に日ソ中立条約を破棄し、ソ連が日本に侵攻した。

日ソ戦争はポツダム宣言受諾の8月14日以降も終わることはなく、8月22日に樺太全島が停戦した。

日ソ戦争では約60万人の兵士(一部民間人も含む)がソ連国内に連れ去られ抑留された。

聖断(せいだん)
聖断(せいだん)

昭和天皇の聖断(天皇の決断のこと)によりポツダム宣言受諾が決定された。

ポツダム宣言受諾(ぽつだむせんげんじゅだく)
ポツダム宣言受諾(ぽつだむせんげんじゅだく)

1945年

日本は8月14日にポツダム宣言を受諾した。

ポツダム宣言受諾に際して日本の政府・軍部は国体護持(天皇を中心とした秩序(政体))に最もこだわった。

1945年
1945年

1945年にポツダム宣言の受諾がなされた。

覚え方は
「生(1)きるのは
く(9)るしい
死(4)ぬのも
ご(5)めんだ
ポツダム宣言受諾」
です。

重光葵(しげみつまもる)
重光葵(しげみつまもる)

1887年 - 1957年

第二次世界大戦期の日本の外交官・政治家。

1945年9月2日に降伏文書に調印した。

トルーマン
トルーマン

1884年 - 1972年

第33代アメリカ合衆国大統領(在位:1945年 - 1953年)。

原子爆弾投下時、およびポツダム宣言受諾時のアメリカ大統領。

東久邇宮稔彦王内閣(ひがしくにのみやなるひこおうないかく)
東久邇宮稔彦王内閣(ひがしくにのみやなるひこおうないかく)

1945年8月17日 - 1945年10月9日

東久邇宮稔彦王が第43代内閣総理大臣に任命された内閣。皇族が首相となった史上唯一の内閣。

国体護持(天皇を中心とした秩序(政体))を唱えて終戦処理にあたったが「人権指令」(「自由の指令」とも。人権確保のため、治安維持法、宗教団体法などの廃止や政治犯・思想犯の釈放、特別高等警察(特高警察)の解体)が出ると、国内での共産活動が再活発化し革命がおこることを危惧し、指令の実施不可能として総辞職した。

吉田茂(よしだしげる)
吉田茂(よしだしげる)

1878年 - 1967年

東久邇宮稔彦王内閣の外務大臣。

後に五次にわたって内閣を組織する。

プレス=コード
プレス=コード

1945年9月公布。

GHQによって定められた新聞・出版規制の準則。

占領軍批判の禁止を主な内容とする

GHQ(じーえいちきゅー)
GHQ(じーえいちきゅー)

1945年10月2日 - 1952年4月28日

正式名称「連合国軍最高司令官司令部」。第二次世界大戦終結に伴うポツダム宣言を施行するために日本で占領政策を実施した連合国軍機関。

日本政府に指令や勧告を発する間接統治を行った。

民主化政策の一環として農地改革が実施され、寄生地主制の解体自作農の創設、小作料の金納化などを実現した。

傾斜生産方式(けいしゃせいさんほうしき)
傾斜生産方式(けいしゃせいさんほうしき)

GHQ占領下の日本で行われた経済政策。

インフレの原因のひとつである物資の不足を解消するため、政府は鉄鋼と石炭の生産に重点をおく傾斜生産方式を採用した。

占領期(せんりょうき)
占領期(せんりょうき)

1945年からサンフランシスコ平和条約が発効する1952年までの範囲を占領期と言う。

人権指令(じんけんしれい)
人権指令(じんけんしれい)

1945年10月4日

10月4日にGHQによって出された指令。

正式名称『政治的、公民的及宗教的自由に対する制限の除去の件』。

思想、宗教、集会、言論にかかわる取締法の廃止を含み、治安維持法も廃止された。

日本の終戦直後(にほんのしゅうせんちょくご)
日本の終戦直後(にほんのしゅうせんちょくご)

深刻な食糧難を背景に、混雑する列車で人々が農村へ買い出しに向かった。

高野岩三郎(たかのいわさぶろう)
高野岩三郎(たかのいわさぶろう)

1871年 - 1949年

憲法研究会を設立し「憲法草案要綱」発表。

この憲法草案要綱は、のちに連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) で憲法草案をつくる際に参考とされた。

幣原喜重郎内閣(しではらきじゅうろうないかく)
幣原喜重郎内閣(しではらきじゅうろうないかく)

1945年10月9日 - 1946年5月22日

幣原喜重郎が第44代内閣総理大臣に任命された内閣。

新憲法の制定に着手。

幣原喜重郎内閣が行った総選挙で、女性が初めて代議士に当選した。

1945年労働組合法を制定。

GHQの要求に先立って第一次農地改革案を閣議決定し、改革実施に向けて1945年に農地調整法を改正した。

1946年に金融緊急措置令を実施し、戦後インフレの終息を図ろうとした。

国際連合(こくさいれんごう)
国際連合(こくさいれんごう)

1945年

10月に国際連合が設立された。

常任理事国はアメリカ合衆国、中華民国、イギリス、フランス、ソビエト連邦。

国連と略されることもある。

参考
国際連合:その憲章と機構 | 国連広報センター

墨塗り教科書(すみぬりきょうかしょ)
墨塗り教科書(すみぬりきょうかしょ)

1945年

10月にGHQは教科書の不適当な記述の削除と軍国主義的な教員の追放を指示した。

教職追放(きょうしょくついほう)
教職追放(きょうしょくついほう)

1945年

10月にGHQは教科書の不適当な記述の削除と軍国主義的な教員の追放を指示した。

修身・日本歴史・地理の授業停止(しゅうしんにほんれきしちりのじゅぎょうていし)
修身・日本歴史・地理の授業停止(しゅうしんにほんれきしちりのじゅぎょうていし)

修身・日本歴史・地理の授業が禁止されたが、日本歴史・地理の授業はやがて再開された。

プロ野球再開(ぷろやきゅうさいかい)
プロ野球再開(ぷろやきゅうさいかい)

1945年

11月にプロ野球が再開された。

日本社会党(にほんしゃかいとう)
日本社会党(にほんしゃかいとう)

1945年

11月に結成された。

書記長は片山哲。

のちに片山哲は日本初の社会党主導の内閣の首班になった。

神道指令(しんとうしれい)
神道指令(しんとうしれい)

1945年

12月15日にGHQが日本の国家神道を廃止し、政教分離を果たすために出した指令。民間宗教としての存続は認めた。

女性の参政権(じょせいのさんせいけん)
女性の参政権(じょせいのさんせいけん)

1945年

12月に衆議院議員選挙法が改正され、大日本帝国憲法下で女性に参政権が認められた。

参考
衆議院議員選挙法|アジ歴グロッサリー

労働組合法(ろうどうくみあいほう)
労働組合法(ろうどうくみあいほう)

1945年

12月22日に制定された労働者の団結権や団体交渉権を認める法。

連合国対日理事会(れんごうこくたいにちりじかい)
連合国対日理事会(れんごうこくたいにちりじかい)

1945年

12月27日に設立が決定された、東京に設置されたアメリカ・イギリス・ソ連・中華民国の代表から成る連合国軍最高司令官の諮間機関。

ガリオア資金(ガリオアしきん)
ガリオア資金(ガリオアしきん)

アメリカが戦後復興のために日本に出した援助資金。

敗戦後、日本は深刻な物価上昇と食糧難にみまわれ、ガリオア資金による緊急食糧輸入が実施された。

日本はこれを高度成長期以降返済した。

農地改革(のうちかいかく)
農地改革(のうちかいかく)

1945年以降の二度にわたる「農地は政府が強制的に安値で買い上げ、実際に耕作していた小作人に売り渡す」という農地改革の実施によって、寄生地主制が解体された。

寄生地主制(きせいじぬしせい)
寄生地主制(きせいじぬしせい)

小作農民に土地を貸し出し農業をさせ、自らは農業を営まず小作料を取り立てる地主を寄生地主と言う。

その寄生地主が制度的に承認され存続していたが、GHQは寄生地主制によって小作農の窮乏を招いたことが軍国主義を支えた原因のひとつと考え、農地改革でこれを解体した。

小作農(こさくのう)
小作農(こさくのう)

GHQは寄生地主制によって小作農の窮乏を招いたことが軍国主義を支えた原因のひとつと考え、農地改革でこれを解体した。

人間宣言(にんげんせんげん)
人間宣言(にんげんせんげん)

1946年

1月に昭和天皇が出した詔勅。

天皇みずから自身の神格を否定した。

松本烝治(まつもとじょうじ)
松本烝治(まつもとじょうじ)

1877年 - 1954年

国務大臣。

GHQより憲法改正の指示がなされ、憲法問題調査委員会が設置された。

松本烝治を中心に改正案を作成した。

極東委員会の活動が始まる前にGHQが日本国憲法草案を作成する(きょくとういいんかいのかつどうがはじまるまえにジーエイチキューがにほんこくけんぽうそうあんをさくせいする)
極東委員会の活動が始まる前にGHQが日本国憲法草案を作成する(きょくとういいんかいのかつどうがはじまるまえにジーエイチキューがにほんこくけんぽうそうあんをさくせいする)

1946年

松本烝治が中心となって作成した日本国憲法の改正案は天皇の統治権を認める保守的なものだったため、対日占領政策の最高決定機関である極東委員会の活動が始まる前にGHQがみずから英文の改正草案(マッカーサー草案)を急きょ作成した。

芦田均の発案により「前項の目的を達するため」との字句が加えられる(あしだひとしのはつあんにより「ぜんこうのもくてきをたっするため」とのじくがくわえられる)
芦田均の発案により「前項の目的を達するため」との字句が加えられる(あしだひとしのはつあんにより「ぜんこうのもくてきをたっするため」とのじくがくわえられる)

GHQの日本国憲法改正草案を元に、政府原案が策定されたが、この際、芦田均の発案により戦力不保持に関する第9条2項に「前項の目的を達するため」との字句が加えられ、自衛のための軍隊保持に含みを残した。

公職追放(こうしょくついほう)
公職追放(こうしょくついほう)

1946年

GHQは軍国主義の公職追放を指令した。

戦後初の総選挙では戦争中に議員だった者の多くが公職追放となり、立候補できなかった。

5-7 公職追放 | 史料にみる日本の近代

金融緊急措置令(きんゆうきんきゅうそちれい)
金融緊急措置令(きんゆうきんきゅうそちれい)

1946年

2月に幣原喜重郎内閣が発布したもので、戦後のインフレーションを収束させるために新円への切り替えや預貯金の引出しを制限(預金封鎖)することで貨幣流通量を減少させようとした。

戦後初の総選挙(せんごはつのそうせんきょ)
戦後初の総選挙(せんごはつのそうせんきょ)

1946年

4月に戦後初の総選挙が行われた。

満20歳以上の成人男女に選挙権が与えられ、有権者はこれまでの3倍近くに拡大した。

39名の女性議員が誕生した。

日本自由党が第一党になり、総裁の鳩山一郎は次期首相候補になったが公職追放処分を受けた。

極東委員会(きょくとういいんかい)
極東委員会(きょくとういいんかい)

1946年

ワシントンに設置された、対日占領政策の最高決定機関。

極東委員会の決定はアメリカ政府を通じてGHQに指令され、その指令・勧告に基づいて日本政府が政策を実行するという間接統治方式がとられた。

東京裁判(とうきょうさいばん)
東京裁判(とうきょうさいばん)

1946年5月3日 - 1948年11月12日

28名の戦争指導者が平和に対する罪を問われA級戦犯として連合国による東京裁判で裁かれた。

その結果、東条英機以下7名が死刑となり、病死など3名を除き全員が有罪となった。

鳩山一郎がGHQにより公職を追放される
鳩山一郎がGHQにより公職を追放される

鳩山一郎は次期首相候補となったが、戦前の翼賛議員の排除を目的としたGHQにより公職を追放された。

参考
5-7 公職追放 | 史料にみる日本の近代

第1次吉田茂内閣(だいいちじよしだしげるないかく)
第1次吉田茂内閣(だいいちじよしだしげるないかく)

1946年5月22日 - 1947年5月24日

吉田茂が第45代内閣総理大臣に任命された内閣。

大蔵大臣石橋湛山を採用。

幣原喜重郎内閣が行った農地改革が不十分とのGHQの勧告を受け、再改正した農地調整法と自作農創設特別措置法を公布し、第二次農地改革を進めた。この政策により小規模な農家が大幅に増えた。

1947年労働基準法を制定。

石橋湛山が第一次吉田茂内閣で大蔵大臣に就任する
石橋湛山が第一次吉田茂内閣で大蔵大臣に就任する

石橋湛山(いしばしたんざん)が第一次吉田茂内閣で大蔵大臣に就任した。

労働関係調整法(ろうどうかんけいちょうせいほう)
労働関係調整法(ろうどうかんけいちょうせいほう)

1946年

9月公布。

労働争議を予防、又は解決して、産業の平和を維持することを目的とした法律。

自作農創設特別措置法(じさくのうそうせつとくべつそちほう)
自作農創設特別措置法(じさくのうそうせつとくべつそちほう)

1946年

10月公布。

自作農の創設を目的とした法。

参考
昭和21年(1946)10月|第2次農地改革:日本のあゆみ

日本国憲法(にほんこくけんぽう)
日本国憲法(にほんこくけんぽう)

1946年

11月3日公布。

日本の憲法。

国会が国権の最高機関であると定められている。

参考
日本国憲法

安全と生存を保持(あんぜんとせいぞんをほじ)
安全と生存を保持(あんぜんとせいぞんをほじ)

日本国憲法の前文に「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」との一文がある。

参考
日本国憲法

日本国憲法 第9条(にほんこくけんぽう だいきゅうじょう)
日本国憲法 第9条(にほんこくけんぽう だいきゅうじょう)

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

参考
日本国憲法

国権(こっけん)
国権(こっけん)

日本国憲法

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

参考
日本国憲法

前項の目的を達するため(ぜんこうのもくてきをたっするため)
前項の目的を達するため(ぜんこうのもくてきをたっするため)

日本国憲法

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

参考
日本国憲法

交戦権(こうせんけん)
交戦権(こうせんけん)

日本国憲法

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

参考
日本国憲法

復興金融金庫(ふっこうきんゆうきんこ)
復興金融金庫(ふっこうきんゆうきんこ)

1947年1月設立。

石炭・鉄鋼・肥料などの産業への資金供給を目的とした政府金融機関。

アメリカ教育使節団(アメリカきょういくしせつだん)
アメリカ教育使節団(アメリカきょういくしせつだん)

アメリカ教育使節団の勧告により、1947年に日本で教育基本法が制定された。

教育基本法(きょういくきほんほう)
教育基本法(きょういくきほんほう)

1947年

アメリカ教育使節団の勧告により3月に日本で制定。

義務教育が6年から9年(=小学校6年、中学校3年)に延長された。

学校教育法(がっこうきょういくほう)
学校教育法(がっこうきょういくほう)

1947年3月に教育基本法と同時に制定された。

この法の制定により六・三・三・四の新学制が発足した。

地方自治法(ちほうじちほう)
地方自治法(ちほうじちほう)

1947年

4月に公布。

地方公共団体の能率的な行政を確保することを目指して制定。

これにより地方行政・警察を支配していた内務省は廃止された。

独占禁止法(どくせんきんしほう)
独占禁止法(どくせんきんしほう)

1947年

7月に公布され、カルテル、トラストなどが禁止された。

GHQは財閥が軍国主義の基盤のひとつになっているとし、その解体を目指していた。

労働基準法(ろうどうきじゅんほう)
労働基準法(ろうどうきじゅんほう)

1947年4月に制定。

労働者の権利保護のために労働時間などの労働条件を定めた。

日本国憲法の施行は5月3日(にほんこくけんぽうのしこうはごがつみっか)
日本国憲法の施行は5月3日(にほんこくけんぽうのしこうはごがつみっか)

1947年5月3日に日本国憲法が施行された。

大塚久雄(おおつかひさお)
大塚久雄(おおつかひさお)

1907年 - 1996年

経済学者。

西洋諸国における近代資本主義、近代市民社会の研究で知られ、マックス・ウェーバーの社会学とカール・マルクスの唯物史観論の方法を用いて構築した大塚史学は国際的評価を受けた。1947年から東京帝大経済学部教授。

美空ひばり(みそらひばり)
美空ひばり(みそらひばり)

1937年 - 1989年

歌手。女優。

12歳でデビューして「天才少女歌手」と謳われて以後、歌謡曲・映画・舞台などで活躍し「歌謡界の女王」と言われた。

農地の単独相続制度の廃止(のうちのたんどくそうぞくせいどのはいし)
農地の単独相続制度の廃止(のうちのたんどくそうぞくせいどのはいし)

1947年の日本国憲法施行に伴い民法が改正され、農地の単独相続制(長男相続制)が廃止された。

片山哲内閣(かたやまてつないかく)
片山哲内閣(かたやまてつないかく)

1947年5月24日 - 1948年3月10日

片山哲が第46代内閣総理大臣に任命された内閣。

片山哲は日本社会党を中心とする連立政権の首相となった。

国民協同党(こくみんきょうどうとう)
国民協同党(こくみんきょうどうとう)

片山哲内閣は連立内閣であったが、この内閣の与党。

片山哲内閣当時の野党である自由党の指導者は吉田茂
片山哲内閣当時の野党である自由党の指導者は吉田茂

片山哲内閣当時の、野党第一党である自由党の指導者は吉田茂(よしだしげる)。

GATT(ガット)
GATT(ガット)

1947年

自由貿易の拡大と関税の引き下げを目的として23カ国で調印され、翌48年1月に発効した。

ジュネープに事務局を置いた。

日本は1955年に加盟した。

1995年にWTO (世界貿易機関)に引き継がれた。

教育勅語の失効(きょういくちょくごのしっこう)
教育勅語の失効(きょういくちょくごのしっこう)

1948年

6月に衆議院で教育勅語の排除、参議院で教育勅語の失効確認が決議された。

公務員のストライキ禁止(こうむいんのストライキきんし)
公務員のストライキ禁止(こうむいんのストライキきんし)

1948年

7月に政令201号によって公務員のストライキが禁止された。

教育委員会(きょういくいいんかい)
教育委員会(きょういくいいんかい)

1948年

都道府県・市町村ごとに、公選による教育委員会が設けられた。

大韓民国(だいかんみんこく)
大韓民国(だいかんみんこく)

1948年

第二次世界大戦が終結すると米ソ二大陣営の対立が表面化し、朝鮮半島では8月にアメリカ軍が支配する地域には大韓民国が建国された。

韓国ともいう。

朝鮮民主主義人民共和国(ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく)
朝鮮民主主義人民共和国(ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく)

1948年

第二次世界大戦が終結すると米ソ二大陣営の対立が表面化し、朝鮮半島では9月にソ連軍が支配する地域には朝鮮民主主義人民共和国が建国された。

北朝鮮ともいう。

法隆寺金堂壁画(ほうりゅうじこんどうへきが)
法隆寺金堂壁画(ほうりゅうじこんどうへきが)

7世紀末頃の仏教壁画。1949年1月の火災で焼損した。

ジョゼフ・ドッジ
ジョゼフ・ドッジ

1890年 - 1964年

アメリカの政治家。

1949年2月に来日したジョセフ・ドッジは政府財政の「超均衡」を要求した。

超均衡(ちょうきんこう)
超均衡(ちょうきんこう)

歳出を極力抑圧するインフレーション収束策。

ドッジ=ライン
ドッジ=ライン

1949年

ジョゼフ・ドッジが勧告した財政金融引き締め政策。

それまで外国貿易は商品ごとに異なる為替相場で取引されていたものを、1ドル=360円の単一為替レートと定めた。

これにより日本経済は深刻な不況に陥った。

360円(さんびゃくろくじゅうえん)
360円(さんびゃくろくじゅうえん)

1949年に設定された単一為替レートは1ドルあたり360円。

岩宿遺跡(いわじゅくいせき)
岩宿遺跡(いわじゅくいせき)

旧石器時代の遺跡。

1949年に明治大学考古学研究室によって発掘調査が学術的に行われた結果、7月に旧石器が発見され、日本にも旧石器時代が存在したことが証明された。

日本学術会議(にほんがくじゅつかいぎ)
日本学術会議(にほんがくじゅつかいぎ)

1949年設立。

学会の代表機関。

中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)
中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)

1949年

10月に毛沢東を主席として中華人民共和国が建国された。

毛沢東が中華人民共和国を建国する
毛沢東が中華人民共和国を建国する

毛沢東は日中戦争後の国共内戦では蒋介石率いる中華民国を1949年に台湾に追放し、中国大陸に中華人民共和国を建国した。

以後、死去するまで同国の最高指導者の地位にあった。

湯川秀樹(ゆかわひでき)
湯川秀樹(ゆかわひでき)

1907年 - 1981年

理論物理学者。

1949年11月に日本人として初めてノーベル賞を受賞した。

蒋介石が台湾に移る
蒋介石が台湾に移る

中華民国の最高指導者である蒋介石は国共内戦で毛沢東率いる中国共産党に敗れて1949年12月に台湾に移り、没した。

文化財保護法(ぶんかざいほごほう)
文化財保護法(ぶんかざいほごほう)

1949年の法隆寺金堂の火災により法隆寺金堂壁画が焼損した。これをきっかけに、文化財の保護についての総合的な法律として、議員立法により本法が制定された。1950年に施行された。

自由党(じゆうとう)
自由党(じゆうとう)

1950年3月に自由党が発足した。

朝鮮戦争(ちょうせんせんそう)
朝鮮戦争(ちょうせんせんそう)

1950年

6月、朝鮮半島で、武力統一を目指した北朝鮮軍が大韓民国に侵攻し、朝鮮戦争が始まった。

朝鮮戦争が始まるとアメリカは日本との講和を急いだ。

戦いは5年続いた。

ドッジ=ラインによって不況に陥っていた日本は朝鮮戦争の特需で活気を取り戻した。

年号の覚え方は「行く(19)これ(50)即死、朝鮮戦争」です。

警察予備隊(けいさつよびたい)
警察予備隊(けいさつよびたい)

1950年

8月、警察力を補う目的で創設された警察隊。

アメリカは、日本を極東の反共基地とし資本主義陣営の一員として自立させる政策に転じ、GHQの指令により警察予備隊が創設された。

レッド=パージ
レッド=パージ

1950年

共産党員やその支持者を官公庁や民間企業から追放すること。

GHQが指示した。

日本労働組合総評議会(にほんろうどうくみあいそうひょうぎかい)
日本労働組合総評議会(にほんろうどうくみあいそうひょうぎかい)

1950年

反共民主労組として結成された。

第3次吉田茂内閣(だいさんじよしだしげるないかく)
第3次吉田茂内閣(だいさんじよしだしげるないかく)

1949年2月16日 - 1952年10月30日

吉田茂が第49代内閣総理大臣に任命された内閣。

全面講和論を退けて単独講和論を採用し、1951年にアメリカなど48か国サンフランシスコ平和条約に調印、1952年に発行した。これにより連合国による占領は終わり、日本は主権を回復した。

血のメーデー事件をきっかけに破壊活動防止法を制定。

単独講和論(たんどくこうわろん)
単独講和論(たんどくこうわろん)

アメリカなど西側陣営のみとの講和を主張する論。

全面講和論(ぜんめんこうわろん)
全面講和論(ぜんめんこうわろん)

アメリカなど西側陣営のみならず、ソ連・中国など全交戦国との講和を主張する論。

全面講和論を大内兵衛と南原繁が支持する(ぜんめんこうわろんをおおうちひょうえとなんばらしげるがしじする)
全面講和論を大内兵衛と南原繁が支持する(ぜんめんこうわろんをおおうちひょうえとなんばらしげるがしじする)

全面講和論を大内兵衛と南原繁が支持する。

大内兵衛は全面講和論を支持する
大内兵衛は全面講和論を支持する

大内兵衛(おおうちひょうえ)は全面講和論を支持した。

南原繁(なんばらしげる)
南原繁(なんばらしげる)

1889年 - 1974年

政治学者。東大総長。

全面講和論を支持して、首相の吉田茂と対立した。

熱心なクリスチャン。

サンフランシスコ講和会議(さんふらんしすここうわかいぎ)
サンフランシスコ講和会議(さんふらんしすここうわかいぎ)

1951年

アメリカのサンフランシスコ市内オペラハウスで開催された、第二次世界大戦の連合国の対日講和会議。日本代表は吉田茂。

サンフランシスコ平和条約(さんふらんしすこへいわじょうやく)
サンフランシスコ平和条約(さんふらんしすこへいわじょうやく)

1952年発効

サンフランシスコ講和会議の結果、締結された条約。

この条約の発効により、連合国による占領は終わり、日本は主権を回復した。

また、日本はこの条約により台湾・南樺太・千島列島を放棄した。

1951年9月8日調印、1952年4月28日発効。

また、ソ連はサンフランシスコ講和会議に参加はしたが、サンフランシスコ平和条約に調印はしなかった。

1952年
1952年

1952年にサンフランシスコ平和条約が発効した。

覚え方は「いく(19)らでも!子に(52)残すぞ!平和な世界!サンフランシスコ平和条約!」です。

信託統治(しんたくとうち)
信託統治(しんたくとうち)

国際連合の監督のもと、その信託を受けた国が一定の非自治地域で統治を行うこと。

サンフランシスコ平和条約で日本は「日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む)、孀婦岩の南の南方諸島(小笠原諸島、西之島及び火山列島を含む)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する」とした。

北緯29度(ほくいにじゅうくど)
北緯29度(ほくいにじゅうくど)

サンフランシスコ平和条約で、北緯29度以南の奄美諸島や沖縄諸島などはアメリカの施政権のもとにおかれた。

朝鮮の独立(ちょうせんのどくりつ)
朝鮮の独立(ちょうせんのどくりつ)

サンフランシスコ平和条約で日本は朝鮮の独立を承認した。

日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)
日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)

1951年

講和条約調印と同時に締結された。

日本国内へのアメリカ軍の駐留を認めた。

改進党(かいしんとう)
改進党(かいしんとう)

1952年

2月に改進党が発足した。

日米行政協定(にちべいぎょうせいきょうてい)
日米行政協定(にちべいぎょうせいきょうてい)

1952年

1951年の日米安全保障条約でアメリカ軍の日本国内への駐留が認められたが、日米行政協定ではアメリカ軍の具体的な配備などの条件を決めた。

これにより日本国内に米軍の軍事基地が存続することになった。

日華平和条約(にっかへいわじょうやく)
日華平和条約(にっかへいわじょうやく)

1952年

4月に日本と中華民国(台湾国民政府)との間で両国間における第二次世界大戦の戦争状態を終了させるために締結された条約。

血のメーデー事件(ちのめーでーじけん)
血のメーデー事件(ちのめーでーじけん)

1952年

5月に日比谷公園から皇居前広場に向かったデモ隊が、警官隊と衝突した事件。

破壊活動防止法(はかいかつどうぼうしほう)
破壊活動防止法(はかいかつどうぼうしほう)

1952年

7月に公布・施行。

血のメーデー事件をきっかけに治安強化のために破壊活動防止法が制定され、過激な政治活動の取締りが強化された。

国際通貨基金(こくさいつうかききん)
国際通貨基金(こくさいつうかききん)

国際金融、並びに為替相場の安定化を目的として設立された国際連合の専門機関。IMFとも呼ばれる(International Monetary Fun)。

日本は1952年8月にIMFに加盟。

内灘事件(うちなだじけん)
内灘事件(うちなだじけん)

1952年 - 1953年

1952年に石川県の内灘村の砂丘地を米軍の試射場として接収することが決定され、激しい反対運動が起こったが53年に接収が強行された。

板門店(はんもんてん)
板門店(はんもんてん)

1953年

朝鮮半島では、1951年7月から朝鮮戦争の休戦会議が進められ、1953年7月には板門店で休戦協定が結ばれた。

しかし、現在に至るも朝鮮半島の統一は実現されず、東アジア社会の大きな緊張要因となっている。

奄美諸島の日本復帰(あまみしょとうのにほんふっき)
奄美諸島の日本復帰(あまみしょとうのにほんふっき)

1953年

12月に、米軍政府下に置かれていた奄美諸島が日本に復帰した。

年号の語呂合わせは「行く(19)子(5)らが、み(3)んな喜ぶ奄美諸島の日本復帰」です。

参考
奄美群島日本復帰関係/鹿児島県奄美市

1953年
1953年

1953年にテレビ放送が始まった。

覚え方は
「人(1)食い込み(953)ぎみに見るテレビ放送開始」です。

第五福竜丸(だいごふくりゅうまる)
第五福竜丸(だいごふくりゅうまる)

1954年

3月に漁船「第五福竜丸」がビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験により被爆した。

これをきっかけに、原水爆禁止運動が全国で高まりをみせた。

MSA協定(えむえすえーきょうてい)
MSA協定(えむえすえーきょうてい)

1954年

3月に成立。

アメリカが日本を経済援助する代わりに、日本の防衛力を漸増するよう定めたもの。

日米相互防衛援助協定ともいう。

アジア=アフリカ会議(アジア=アフリカかいぎ)
アジア=アフリカ会議(アジア=アフリカかいぎ)

1955年

4月にアジア・アフリカの新興諸国は、インドネシアのバンドンで会議を開き、反植民地主義と平和共存を宣言した。

これはアジア・アフリカの第三世界が結束して、米ソ二大国の対立による冷戦構造に対して行った異議申し立てでもあった。

アメリカ・ソ連もこれを無視できず、同年7月ジュネーブで米英仏ソの四巨頭会談が開催されると、世界に雪どけムードが高まった。

日本からは経済審議庁長官である高碕達之助が出席した。

高碕達之助(たかさきたつのすけ)
高碕達之助(たかさきたつのすけ)

1885年 - 1964年

鳩山一郎首相の代理としてアジア=アフリカ会議に出席。

後にLT貿易の貿易協定の交渉でも活躍。

バンドン
バンドン

アジア=アフリカ会議が開かれた場所。

ワルシャワ条約機構(ワルシャワじょうやくきこう)
ワルシャワ条約機構(ワルシャワじょうやくきこう)

1955年

5月設立。

ソ連を盟主として東ヨーロッパ諸国が結成した軍事同盟。

西側陣営に対抗した。

第1回原水爆禁止世界大会(だいいっかいげんすいばくきんしせかいたいかい)
第1回原水爆禁止世界大会(だいいっかいげんすいばくきんしせかいたいかい)

1955年

1955年8月6日、原爆が投下されてから10年後の広島で、第1回原水爆禁止世界大会が開催された。

自由民主党(じゆうみんしゅとう)
自由民主党(じゆうみんしゅとう)

1955年

11月に成立。

初代総裁は鳩山一郎。

自由民主党の初代総裁は鳩山一郎(じゆうみんしゅとうのしょだいそうさいははとやまいちろう)
自由民主党の初代総裁は鳩山一郎(じゆうみんしゅとうのしょだいそうさいははとやまいちろう)

自由民主党の初代総裁は鳩山一郎。

第3次鳩山一郎内閣(だいさんじはとやまいちろうないかく)
第3次鳩山一郎内閣(だいさんじはとやまいちろうないかく)

1955年11月22日 - 1956年12月23日

鳩山一郎が第54代内閣総理大臣に任命された内閣。

鳩山一郎は自由民主党の初代総裁となった。

防衛力の増強に積極的であり、国防会議を発足させた。

憲法改正を唱え、憲法調査会を設置した。

日ソ共同宣言を行い日本とソビエト連邦の国交回復を実現した。また、それにより日本の国連加盟が実現した。

石橋湛山が鳩山一郎内閣で通商産業大臣に就任する
石橋湛山が鳩山一郎内閣で通商産業大臣に就任する

石橋湛山(いしばしたんざん)が鳩山一郎内閣で通商産業大臣に就任した。

55年体制(ごじゅうごねんたいせい)
55年体制(ごじゅうごねんたいせい)

1955年から、自由民主党が与党第一党、日本社会党が野党第一党という状態が40年近く続いたこと。

原子力基本法(げんしりょくきほんほう)
原子力基本法(げんしりょくきほんほう)

1955年

12月制定。原子力基本法がうたう原子力の平和利用の三原則にもとづいて各地に原子力発電所が建設された。

もはや戦後ではない(もはやせんごではない)
もはや戦後ではない(もはやせんごではない)

1956年

7月に『もはや戦後ではない』と記された経済白書が出された。

1956年
1956年

「もはや戦後ではない」と言われたのは1956年。

覚え方は「『行く(19)』『殺す(56)』の時代は終わり、もはや戦後ではない」です。

国防会議(こくぼうかいぎ)
国防会議(こくぼうかいぎ)

1956年

7月設置。

国防に関する重要事項を審議する日本の機関。

参考
昭和31年(1956)7月|国防会議が設置される:日本のあゆみ

日ソ共同宣言(にっそきょうどうせんげん)
日ソ共同宣言(にっそきょうどうせんげん)

1956年

10月19日署名。これにより日本とソ連の国交が回復した。

その結果、日本はソ連の支持により国際連合への加盟が認められた。

引き続き平和条約締結交渉を行い、条約締結後にソ連は歯舞諸島及び色丹島を日本国に引き渡すとした。

またこの頃、日ソ戦争によるソ連への抑留者の日本への帰国がほぼ完了した。

ハンガリー動乱(ハンガリーどうらん)
ハンガリー動乱(ハンガリーどうらん)

1956年

10月23日、スターリン体制に反対してハンガリーの市民が蜂起した事件。

ソ連が軍事介入して鎮圧したため、米ソはふたたび核兵器開発を進めていった。

日本の国際連合加盟(にほんのこくさいれんごうかめい)
日本の国際連合加盟(にほんのこくさいれんごうかめい)

1956年

12月に日本は国際連合に加盟した。

日本の高度経済成長(にほんのこうどけいざいせいちょう)
日本の高度経済成長(にほんのこうどけいざいせいちょう)

1950年代 - 1973年

1950年代に入ってくると、日本は高度経済成長期に入った。大都市の近郊にはニュータウンと呼ばれる大規模な住宅団地が作られた。

三種の神器(さんしゅのじんぎ)
三種の神器(さんしゅのじんぎ)

1950年代後半に白黒テレビ洗濯機冷蔵庫が戦後清時代の生活必需品「三種の神器」として喧伝された。

電気洗濯機・電気冷蔵庫の普及率は1970年には80%を超えていた。

第三次産業の割合が最も多い
第三次産業の割合が最も多い

1950年代後半以降、日本の産業別就業者数は、第三次産業の割合が最も多くなった。

終身雇用制(しゅうしんこようせい)
終身雇用制(しゅうしんこようせい)

会社が労働者を入社から定年まで雇いつづけること。

高度経済成長期に大企業でみられた日本的経営の特徴のひとつ。

年功序列賃金(ねんこうじょれつちんぎん)
年功序列賃金(ねんこうじょれつちんぎん)

勤続年数、年齢に応じて役職や賃金を上昇させるシステムのこと。

高度経済成長期に大企業でみられた日本的経営の特徴のひとつ。

企業別組合(きぎょうべつくみあい)
企業別組合(きぎょうべつくみあい)

企業別または事業所別に組織される労働組合のこと。

高度経済成長期に大企業でみられた日本的経営の特徴のひとつ。

労使協調(ろうしきょうちょう)
労使協調(ろうしきょうちょう)

労働者と使用者との関係を、対立関係ではなく協調関係を目指す思想。

日本的経営の特徴のひとつ。

砂川事件(すながわじけん)
砂川事件(すながわじけん)

1956年

10月に発生した、米軍基地拡張に反対する砂川町民の反対運動。

警察官と衝突し流血事件に発展した。

石橋湛山内閣(いしばしたんざんないかく)
石橋湛山内閣(いしばしたんざんないかく)

1956年12月23日 - 1957年2月25日

石橋湛山が第55代内閣総理大臣に任命された内閣。

内閣発足から1か月後に石橋が脳梗塞で倒れ職務不能となったため、1月に外務大臣の岸信介が内閣総理大臣臨時代理に就任した。結局石橋は続投を断念し、2月に総辞職した。

ソ連の人工衛星打ち上げ(ソれんのじんこうえいせいうちあげ)
ソ連の人工衛星打ち上げ(ソれんのじんこうえいせいうちあげ)

1957年

ソヴィエト社会主義共和国連邦は日ソ協同宣言の翌年に人工衛星の打ち上げに成功した。

耐久消費財(たいきゅうしょうひざい)
耐久消費財(たいきゅうしょうひざい)

大量生産、大量販売体制の確立、割賦販売制度の普及、拡大家族世帯の増加などにより耐久消費財の普及が可能になった。

松本清張(まつもとせいちょう)
松本清張(まつもとせいちょう)

1909年 - 1992年

社会派推理小説作家。

1953年芥川賞受賞。1958年『点と線』『眼の壁』を発表。著作多数。

第2次岸信介内閣(だいにじきしのぶすけないかく)
第2次岸信介内閣(だいにじきしのぶすけないかく)

1958年6月12日 - 1960年7月19日

岸信介が第57代内閣総理大臣に任命された内閣。

「日米新時代」をとなえ、1960年に激しい反対運動を抑え込んで日米相互協力及び安全保障条約に調印した。

日米相互協力及び安全保障条約(にちべいそうごきょうりょくおよびあんぜんほしょうじょうやく)
日米相互協力及び安全保障条約(にちべいそうごきょうりょくおよびあんぜんほしょうじょうやく)

1960年

岸信介内閣は安保体制の強化をはかり、反安保闘争の中で日米新安全保障条約(日米相互協力及び安全保障条約)を成立させたが、それと同時に退陣した。

三井三池炭鉱争議(みついみいけたんこうそうぎ)
三井三池炭鉱争議(みついみいけたんこうそうぎ)

1960年

三池闘争ともいう。

三井鉱山三池鉱業所が大量の指名解雇を通告したことに端を発する大争議。

労働者側が敗北した。

年号の覚え方は「行く(19)の無(6)理!いない(0)よ(解雇を受けて)出て行く人なんて。三井三池炭鉱争議」です。

第1次池田勇人内閣(だいいちじいけだはやとないかく)
第1次池田勇人内閣(だいいちじいけだはやとないかく)

1960年7月19日 - 1960年12月8日

池田勇人が第58代内閣総理大臣に任命された内閣。1961年からの10年間に名目国民所得(国民総生産)を26兆円に倍増させることを目標にした国民所得倍増計画という経済計画を策定し、その後日本は計画以上の成長に至った。

国民所得倍増計画(こくみんしょとくばいぞうけいかく)
国民所得倍増計画(こくみんしょとくばいぞうけいかく)

池田勇人内閣の経済計画。

労働生産性の向上、労働者の不足、春闘方式の導入などもあり、実際に工場労働者の賃金は大幅に上昇し、農家の所得も増加した。

「寛容と忍耐」(かんようとにんたい)
「寛容と忍耐」(かんようとにんたい)

池田勇人内閣では「寛容と忍耐」が唱えられ社会主義勢力との全面対決をさける方針がとられた。

第2次池田勇人内閣(だいにじいけだはやとないかく)
第2次池田勇人内閣(だいにじいけだはやとないかく)

1960年12月8日 - 1963年12月9日

池田勇人が第59代内閣総理大臣に任命された内閣。1961年農業基本法を制定した。

農業基本法(のうぎょうきほんほう)
農業基本法(のうぎょうきほんほう)

1961年

機械化の推進と経営規模拡大による生産性の向上、米作中心の農業から畜産・果樹・野菜など需要の拡大が見込まれる分野への選択的拡大によって他部門との所得格差を是正することを目標とする法。

ベトナム戦争(ベトナムせんそう)
ベトナム戦争(ベトナムせんそう)

1961年

ベトナム共和国政府と南ベトナム解放民族戦線との間の内戦。

1973年に和平協定に調印。

新産業都市建設促進法(しんさんぎょうとしけんせつそくしんほう)
新産業都市建設促進法(しんさんぎょうとしけんせつそくしんほう)

1962年

5月公布。

産業と人口の大都市への集中を緩和し、地域間格差を是正しようとした法。

「道央」「八戸」「秋田湾」「仙台湾」「常磐・郡山」「新潟」「松本・諏訪」「富山・高岡」「岡山県南」「中海」「徳島」「東予」「大分」「日向・延岡」「不知火・有明・大牟田」の15区域が指定された。

LT貿易(エルティーぼうえき)
LT貿易(エルティーぼうえき)

1962年

池田勇人内閣は政経分離の方針のもと、国交がない中華人民共和国との貿易拡大をはかり、11月に準政府間貿易を取り決めた。

この貿易協定の交渉にあたった廖承志と高碕達之助の名前を冠してLT貿易という。

廖承志(りょうしょうし)
廖承志(りょうしょうし)

1908年 - 1983年

LT貿易の貿易協定の交渉にあたった中国側の代表。

LT貿易の貿易協定の日本側代表は高碕達之助
LT貿易の貿易協定の日本側代表は高碕達之助

LT貿易の貿易協定の交渉にあたった日本側の代表は高碕達之助(たかさきたつのすけ)。

ちなみに高碕達之助は1955年に鳩山一郎首相の代理としてアジア=アフリカ会議に出席している。

GATT11条国(ガットじゅういちじょうこく)
GATT11条国(ガットじゅういちじょうこく)

国際収支上の理由で輸出制限・輸入制限を行わない国のこと。

1963年に日本はGATT11条国になった。

だがその後、農産物について輸入制限を行わないというGATT11条国のルールを守っていないと諸外国から批判を受けた。

集団就職(しゅうだんしゅうしょく)
集団就職(しゅうだんしゅうしょく)

労働力不足は、1960年代から70年代初期にかけて、「金の卵」と呼ばれた中卒・高卒の若者が東京・大阪などの大都市に働きに行く集団就職が盛んとなることで解消された。

金の卵(きんのたまご)
金の卵(きんのたまご)

全国から都市に働きに出る若い世代は「金の卵」と呼ばれた。

重化学工業(じゅうかがくこうぎょう)
重化学工業(じゅうかがくこうぎょう)

産業構造の高度化に伴い、重化学工業が安価な原油の安定供給に支えられて工業生産額の3分の2を占めるようになった。

重化学工業化の進展とともに、石炭から石油へとエネルギー源の転換が進んだ。

第3次池田勇人内閣(だいさんじいけだはやとないかく)
第3次池田勇人内閣(だいさんじいけだはやとないかく)

1963年12月9日 - 1964年11月9日

池田勇人が第60代内閣総理大臣に任命された内閣。1964年に経済協力開発機構(OECD)に加盟した。

東京オリンピックが開催された。

新・三種の神器(しんさんしゅのじんぎ)
新・三種の神器(しんさんしゅのじんぎ)

1960年代半ばに「3C」(カラーテレビ・クーラー・カー(自家用車))が新・三種の神器と呼ばれるようになった。

スプロール化(スプロールか)
スプロール化(スプロールか)

電気やガス、水道などのインフラ整備が伴わないまま、郊外に向けて無秩序に宅地開発が進むこと。

過疎化(かそか)
過疎化(かそか)

都市部とは対照的に農山漁村部では人口が減少し、防災や教育、保険、交通など地域を支える基本的機能の維持が困難になるという過疎化が問題になった。

手塚治虫(てづかおさむ)
手塚治虫(てづかおさむ)

1928年 - 1989年

漫画家、アニメーター、アニメーション監督。手塚治虫が原作を描いた「鉄腕アトム」が1963年~1966年、日本で最初の本格的連続テレビアニメとして放映された。

経済協力開発機構(けいざいきょうりょくかいはつきこう)
経済協力開発機構(けいざいきょうりょくかいはつきこう)

国際経済全般について協議することを目的とした国際機関。OECDとも呼ばれる(Organization for Economic Co-operation and Development)。

1964年4月に日本も加盟し、資本の自由化が義務づけられた。

IMF14条国(アイエムエフじゅうよんじょうこく)
IMF14条国(アイエムエフじゅうよんじょうこく)

為替制限の存続を認められたIMF加盟国。

IMF8条国(アイエムエフはちじょうこく)
IMF8条国(アイエムエフはちじょうこく)

日本は1964年4月に14条国から8条国に移行し、貿易の支払いや資本の移動に対する制限を禁止され、為替の自由化を実現した。

国際収支の悪化を理由とした為替管理を行えなくなった。

東海道新幹線(とうかいどうしんかんせん)
東海道新幹線(とうかいどうしんかんせん)

東京オリンピック開会直前の1964年10月1日に世界初の高速鉄道である東海道新幹線が開業した。

またこの頃、高速道路の建設も進められていた。

東京オリンピック(とうきょうオリンピック)
東京オリンピック(とうきょうオリンピック)

1964年

第3次池田勇人内閣の時にオリンピック東京大会が開催された。

第1次佐藤栄作内閣(だいいちじさとうえいさくないかく)
第1次佐藤栄作内閣(だいいちじさとうえいさくないかく)

1964年11月9日 - 1967年2月17日

佐藤栄作が第61代内閣総理大臣に任命された内閣。

日韓基本条約を結ぶ。

日韓基本条約(にっかんきほんじょうやく)
日韓基本条約(にっかんきほんじょうやく)

1965年

6月に調印された日本と大韓民国との間の基本的関係に関する条約。

佐藤栄作内閣はこれにより韓国との国交を正常化し、日本は韓国政府を「朝鮮にある唯一の合法的な政府」と認めた。

また、この条約とともに請求権・経済協力に関する協定、在日韓国人の法的地位に関する協定も締結された。

この条約締結のための日韓会談は植民地時代の事後処理や漁業問題で対立し、中断と再開を繰り返した。

名神高速道路(めいしんこうそくどうろ)
名神高速道路(めいしんこうそくどうろ)

戦後の高度成長期におけるモータリゼーションの進展を背景に1965年7月に名神高速道路が全通した。

四日市ぜんそく(よっかいちぜんそく)
四日市ぜんそく(よっかいちぜんそく)

1960年から1972年にかけて政治問題化した石油化学コンビナートから発生した大気汚染による集団喘息障害。三重県四日市市を中心に発生した。

あらまし|四日市公害について|四日市公害と環境未来館 公式サイト|四日市市環境部環境保全課

四日市ぜんそくが発生した場所(よっかいちぜんそくがはっせいしたばしょ)
四日市ぜんそくが発生した場所(よっかいちぜんそくがはっせいしたばしょ)

ここです。

三重県四日市市です。

水俣病(みなまたびょう)
水俣病(みなまたびょう)

熊本で発生した水俣病は、工場廃液中の有機水銀が魚や貝を介して人体に入り発病した。

イタイイタイ病
イタイイタイ病

カドミウムをふくむ工場廃液によって引き起こされた。

四大公害訴訟(よんだいこうがいそしょう)
四大公害訴訟(よんだいこうがいそしょう)

イタイイタイ病事件、水俣病事件、新潟水俣病事件、四日市公害事件(四日市喘息)の四大公害に関連して、患者とその家族・遺族が郊外の原因とみなされる企業を相手に起こした訴訟。すべて原告側が勝訴した。

第2次佐藤栄作内閣(だいにじさとうえいさくないかく)
第2次佐藤栄作内閣(だいにじさとうえいさくないかく)

1967年2月17日 - 1970年1月14日

佐藤栄作が第62代内閣総理大臣に任命された内閣。

公害対策基本法(こうがいたいさくきほんほう)
公害対策基本法(こうがいたいさくきほんほう)

1967年

日本の4大公害病である水俣病、第二水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病の発生を受け制定された公害対策に関する日本の基本法。1967年8月3日公布、同日施行。

佐藤栄作内閣が制定した。

大気汚染、水質汚濁などの7種の公害を規制した。

大気汚染・水質汚濁(たいきおせん・すいしつおだく)
大気汚染・水質汚濁(たいきおせん・すいしつおだく)

公害対策基本法で規制されたのは大気汚染や水質汚濁など7種の公害。

公害対策基本法を制定したのは佐藤栄作内閣
公害対策基本法を制定したのは佐藤栄作内閣

公害対策基本法を制定したのは佐藤栄作内閣。

革新自治体(かくしんじちたい)
革新自治体(かくしんじちたい)

社会民主党や日本共産党などの革新政党の支援を受けた首長が当選した地方自治体のこと。

公害問題に対する対応の遅れは各地で住民の反発を招き、1960年代半ばから多くの大都市で革新自治体が急増し、新しい首長の下で公害規制や福祉政策が進んだ。

美濃部亮吉(みのべりょうきち)
美濃部亮吉(みのべりょうきち)

1904年 - 1984年

天皇機関説事件により貴族院議員を辞職した美濃部達吉の長男。

1967年に東京都知事になる。

これにより東京は革新自治体となった。

公害規制や福祉政策に取り組んだ。

美濃部亮吉が知事になった場所(みのべりょうきちがちじになったばしょ)
美濃部亮吉が知事になった場所(みのべりょうきちがちじになったばしょ)

ここです。

東京です。

兼業農家(けんぎょうのうか)
兼業農家(けんぎょうのうか)

1960年代後半に農家所得はようやく勤労者世帯と同程度の水準まで上昇したものの、所得の上昇はもっぱら兼業農家の増加による農業以外の所得の増加による所が大きかったと言われている。

川端康成(かわばたやすなり)
川端康成(かわばたやすなり)

1899年 - 1972年

小説家。

新感覚派を代表する作家。

代表作に『伊豆の踊子』『雪国』など。

1968年にノーベル文学賞を受賞した。

石原慎太郎(いしはらしんたろう)
石原慎太郎(いしはらしんたろう)

1932年 ~

『太陽の季節』 で芥川賞を受賞した作家。

1968年の参議院議員選挙で当選したタレント議員。

文化庁(ぶんかちょう)
文化庁(ぶんかちょう)

1968年

文化庁が設置された。

参考
文化庁

国民総生産第2位
国民総生産第2位

ベトナム戦争の特需もあり、日本は大幅な貿易黒字が続き、1968年には西ドイツを抜いた。

これにより日本は、資本主義諸国の中で国民総生産(GNP)がアメリカに次いで世界第二位になった。

覚え方は「行く(19)ぞ無(6)理や(8)り日本GNP世界第二位」です。

東名高速道路(とうめいこうそくどうろ)
東名高速道路(とうめいこうそくどうろ)

戦後の高度成長期におけるモータリゼーションの進展を背景に1969年5月に東名高速道路が全通した。

1969年の日米首脳会談(1969ねんのにちべいしゅのうかいだん)
1969年の日米首脳会談(1969ねんのにちべいしゅのうかいだん)

1969年

佐藤栄作内閣は1969年には日米首脳会談を行って沖縄返還の合意にこぎつけた。

ニクソン
ニクソン

1913年 - 1994年

第37代アメリカ合衆国大統領(任期:1969年 - 1974年)。

1969年の日米首脳会談が行われた時のアメリカ大統領。

第3次佐藤栄作内閣(だいさんじさとうえいさくないかく)
第3次佐藤栄作内閣(だいさんじさとうえいさくないかく)

1970年1月14日 - 1972年7月7日

佐藤栄作が第63代内閣総理大臣に任命された内閣。

1970年に日米安全保障条約の自動延長を行う。

14の公害関連法案を成立した。

1971年に日米間で沖縄返還協定を結ぶ。1972年沖縄の日本復帰が実現。

日本万国博覧会(にっぽんばんこくはくらんかい)
日本万国博覧会(にっぽんばんこくはくらんかい)

1970年

大阪で日本万国博覧会が開催された。

年号の覚え方は「行く(19)ぞ、何度(な(7)んど)も、大(0)阪へ!日本万国博覧会」です。

大阪(おおさか)
大阪(おおさか)

1970年

大阪で日本万国博覧会が開催された。

減反政策(げんたんせいさく)
減反政策(げんたんせいさく)

米の生産を抑制する政策のこと。

1960年代には食生活の変化によって米の需要が減少に転じ、過剰生産が問題になったため、1970年代に減反政策が進められた。

環境庁(かんきょうちょう)
環境庁(かんきょうちょう)

1971年

ばらばらに行われていた公害行政と環境保全施策の一本化をはかるために1971年7月環境庁が設置された。

年号の覚え方は「人喰(19)う謎(な(7)ぞ)のイチ(1)ジク倒すため環境庁設置」です。

金・ドル交換停止(きん・ドルこうかんていし)
金・ドル交換停止(きん・ドルこうかんていし)

1971年

国際収支で赤字を続けていたアメリカはベトナム戦争で更に火事が拡大し、8月にニクソン大統領は金・ドル交換停止を発表した。

中華人民共和国が常任理事国になる(ちゅうかじんみんきょうわこくがじょうにんりじこくになる)
中華人民共和国が常任理事国になる(ちゅうかじんみんきょうわこくがじょうにんりじこくになる)

1971年

10月に中華民国に代わり中華人民共和国が国際連合の常任理事国になった。

スミソニアン体制(スミソニアンたいせい)
スミソニアン体制(スミソニアンたいせい)

1971年

12月に10ヶ国蔵相会議で合意された新体制。

「ドルの切り下げ」と「為替変動幅の拡大」が合意され、1ドル=308円となった。

円高ドル安(えんだかドルやす)
円高ドル安(えんだかドルやす)

こうなると日本の輸出取引が不利になる。

沖縄返還協定(おきなわへんかんきょうてい)
沖縄返還協定(おきなわへんかんきょうてい)

第3次佐藤栄作内閣の時の1971年に沖縄返還協定が結ばれ、1972年5月に発効し沖縄の日本復帰が実現した。

沖縄返還が実現した年の覚え方は「行く(19)ぞ夏(72)の国、沖縄の日本復帰実現」です。

沖縄県の日本復帰(おきなわのにほんふっき)
沖縄県の日本復帰(おきなわのにほんふっき)

1972年

5月に沖縄が日本に復帰した。

年号の覚え方は「行く(19)ぞ夏(72)の国、沖縄の日本復帰実現」です。

田中角栄(たなかかくえい)
田中角栄(たなかかくえい)

1918年 - 1993年

政治家。建築士。

自由民主党総裁選挙を翌月に控えた1972年(昭和47年)6月11日に日本列島改造論という政策綱領を発表した。これを事実上の政権公約として掲げて同年7月の総裁選で勝利し、内閣総理大臣となった。

日本列島改造論(にほんれっとうかいぞうろん)
日本列島改造論(にほんれっとうかいぞうろん)

1972年

田中角栄が提唱した政治構想。

高速道路と新幹線網の拡充によって人口と産業の地方分散を推進し、過疎と過密を同時に解消させるという構想。

第1次田中角栄内閣(だいいちじたなかかくえいないかく)
第1次田中角栄内閣(だいいちじたなかかくえいないかく)

1972年7月7日 - 1972年12月22日

田中角栄が第64代内閣総理大臣に任命された内閣。

日中共同声明の背景(にっちゅうきょうどうせいめいのはいけい)
日中共同声明の背景(にっちゅうきょうどうせいめいのはいけい)

アメリカのニクソン大統領はベトナム戦争の行き詰まりを打開するために訪中し、中国敵視政策を改めて米中の関係改善をはかった。

これを受けて日本の田中角栄首相も訪中し、日中共同声明を発表した。

日中共同声明(にっちゅうきょうどうせいめい)
日中共同声明(にっちゅうきょうどうせいめい)

1972年

田中角栄内閣は日中共同声明に調印して中国との国交を樹立した。

中国政府は、日中友好のため日本に対する戦争賠償請求を放棄するとした。

この声明によって日本と中華人民共和国との外交関係が樹立されたのに伴い、日本と台湾との関係は非公式の実務関係に限定されることになった。

大平正芳(おおひらまさよし)
大平正芳(おおひらまさよし)

1910年 - 1980年

1972年に日中国交正常化を果たした外務大臣。

のちに首相となる。

クリスチャン。

第2次田中角栄内閣(だいにじたなかかくえいないかく)
第2次田中角栄内閣(だいにじたなかかくえいないかく)

1972年12月22日 - 1974年12月9日

田中角栄が第65代内閣総理大臣に任命された内閣。

内閣総理大臣の田中一族がその地位を利用して土地ころがしなどの不当な利潤をあげていた(金脈問題)ことが暴露され総辞職した。

変動為替相場制(へんどうかわせそうばせい)
変動為替相場制(へんどうかわせそうばせい)

1973年

スミソニアン体制により1ドル=308円の固定相場になっていたが、1973年2月に固定相場制から変動相場制へ移行した。

第4次中東戦争(だいよじちゅうとうせんそう)
第4次中東戦争(だいよじちゅうとうせんそう)

1973年

10月にイスラエルとアラブ諸国との間で行われた戦争。

この戦争が勃発すると、アラブの産油国は原油生産を減少させ、輸出制限と原油価格を引き上げた。これにより第1次石油危機が発生した。

第1次石油危機(だいいちじせきゆきき)
第1次石油危機(だいいちじせきゆきき)

1973年

石油価格が高騰し、世界経済が混乱したこと。

第1次オイルショックとも言う。

当時の日本は原油輸入の大半を中東に依存していたため、日本経済の受けた打撃は非常に大きかった。この石油ショックに加え、国内では日本列島改造論による公共投資の拡大などにより地価が高騰したため、日本経済はスタグフレーションにおちいった。

4倍(よんばい)
4倍(よんばい)

第1次石油危機で原油価格は約4倍に引き上げられた。

スタグフレーション
スタグフレーション

不況と物価高騰が同時進行する経済現象のこと。

第一次石油危機の影響
第一次石油危機の影響

トイレットペーパーなどの日用品が店頭から姿を消し、市民生活が混乱した。

日本は経済成長率が低下し、物価上昇、経常収支の赤字に直面した。

第一次石油危機を受け、日本の産業構造は重厚長大型産業から知識集約型産業へ転換した。

実質経済成長率が戦後初めてマイナス
実質経済成長率が戦後初めてマイナス

1974年

第一次石油危機による国内の生産低下や雇用の減少により、1974年に実質経済成長率が戦後初めてマイナスになった。

三木武夫内閣(みきたけおないかく)
三木武夫内閣(みきたけおないかく)

1974年12月9日 - 1976年9月15日

三木武夫が第66代内閣総理大臣に任命された内閣。

安定成長を目指す政策をとった。

資源多消費型(しげんたしょうひがた)
資源多消費型(しげんたしょうひがた)

実質経済成長率が戦後初めてマイナスになった後、鉄鋼や造船などの資源多消費型の産業は停滞した。

知識集約型(ちしきしゅうやくがた)
知識集約型(ちしきしゅうやくがた)

スミソニアン体制と第一次石油危機により打撃を受けた日本は、その後省エネ型の産業、製品開発、ライフスタイルへの変換を追求していくことで経済を急回復させ、知識集約型と呼べる低燃費自動車や電気機械、また半導体やコンピュータなどのハイテク産業が輸出を伸ばすようになった。

減量経営(げんりょうけいえい)
減量経営(げんりょうけいえい)

安定成長期に日本企業がとった、省エネルギーや人員削減などによって経営の立て直しをはかる手法。

具体的には、ME(マイクロエレクトロニクス)技術の導入や、人員削減、工場・オフィスの自動化など。

ME(マイクロエレクトロニクス)技術の導入(マイクロエレクトロニクスぎじゅつのどうにゅう)
ME(マイクロエレクトロニクス)技術の導入(マイクロエレクトロニクスぎじゅつのどうにゅう)

減量経営の一環。

人員削減
人員削減

減量経営の一環。

工場・オフィスの自動化
工場・オフィスの自動化

減量経営の一環。

先進国首脳会議(せんしんこくしゅのうかいぎ)
先進国首脳会議(せんしんこくしゅのうかいぎ)

1975年

第1回先進国首脳会議が開催された。

新自由クラブ(しんじゆうクラブ)
新自由クラブ(しんじゆうクラブ)

1976年

6月に結成された日本の政党。

田中角栄前首相逮捕(たなかかくえいぜんしゅしょうたいほ)
田中角栄前首相逮捕(たなかかくえいぜんしゅしょうたいほ)

1976年

7月に田中角栄前首相がロッキード事件で逮捕された。

福田赳夫内閣(ふくだたけおないかく)
福田赳夫内閣(ふくだたけおないかく)

1976年 - 1978年

福田赳夫が第67代内閣総理大臣に任命された内閣。

日中平和友好条約を結んだ。

日中平和友好条約(にっちゅうへいわゆうこうじょうやく)
日中平和友好条約(にっちゅうへいわゆうこうじょうやく)

1978年

日本国と中華人民共和国との間で締結された両国の外交関係の発展のための条約。

中ソ対立を受けて中国が「ソ連の覇権主義に反対する」意味の条項を入れるよう要求し、交渉が難航したが、その後中国の態度が軟化して妥協が成立し、締結された。

第1次大平正芳内閣(だいいちじおおひらまさよしないかく)
第1次大平正芳内閣(だいいちじおおひらまさよしないかく)

1978年12月 - 1979年11月

大平正芳が第68代内閣総理大臣に任命された内閣。

第2次大平正芳内閣(だいにじおおひらまさよしないかく)
第2次大平正芳内閣(だいにじおおひらまさよしないかく)

1979年11月 - 1980年7月

大平正芳が第69代内閣総理大臣に任命された内閣。

黒澤明(くろさわあきら)
黒澤明(くろさわあきら)

1910年 - 1998年

映画監督。脚本家。

敗戦後、黒澤(黒沢)明の映画が国際的に高い評価を受けた。

遠藤周作(えんどうしゅうさく)
遠藤周作(えんどうしゅうさく)

1923年 - 1996年

作家。

小説『沈黙』で、キリスト教宣教師の転向を描いた。

日米貿易摩擦(にちべいぼうえきまさつ)
日米貿易摩擦(にちべいぼうえきまさつ)

アメリカ向けを中心とする輸出の拡大などにより日本は高度経済成長を実現した。

これにともない1980年代には日米貿易摩擦が激化した。

自動車(じどうしゃ)
自動車(じどうしゃ)

当時のアメリカへの最大の輸出品であり日米貿易摩擦の最大の原因となった製品は自動車だった。

第2次中曽根康弘内閣(だいにじなかそねやすひろないかく)
第2次中曽根康弘内閣(だいにじなかそねやすひろないかく)

1983年12月27日 - 1986年7月22日

中曽根康弘が第72代内閣総理大臣に任命された内閣。

1985年に日本電信電話公社(日本電電)を民営化してNTTに改めた。

日本電信電話公社の民営化(にほんでんしんでんわこうしゃのみんえいか)
日本電信電話公社の民営化(にほんでんしんでんわこうしゃのみんえいか)

1985年

4月に日本電信電話公社(日本電電)を民営化し、NTTに改めた。

プラザ合意(ぷらざごうい)
プラザ合意(ぷらざごうい)

1985年

9月に、5ヵ国蔵相・中央銀行総裁会議でドル高の是正と為替の安定化を目指して結ばれたもの。

アメリカの貿易赤字、日本の貿易黒字に対応するため、ドル高の是正が合意された。

この合意により1985年から1987年の2年間で1ドル240円台から120円台へと円高が進んだ。

プラザ合意に参加した国
プラザ合意に参加した国

プラザ合意に参加したのはIMFの5大国の「米・日・独・仏・英」。

240円台から120円台へ(240えんだいから120えんだいへ)
240円台から120円台へ(240えんだいから120えんだいへ)

プラザ合意により1985年から1987年の2年間で1ドル240円台から120円台へと円高が進んだ。

日米半導体協定(にちべいはんどうたいきょうてい)
日米半導体協定(にちべいはんどうたいきょうてい)

1986年

7月に日本製半導体製品のダンピング輸出防止を目的とする、日米間で結ばれた協定。

1986年の7カ国蔵相会議(せんきゅうひゃくはちじゅうろくねんのななかこくぞうしょうかいぎ)
1986年の7カ国蔵相会議(せんきゅうひゃくはちじゅうろくねんのななかこくぞうしょうかいぎ)

1986年

プラザ合意が結ばれた翌年に7ヵ国蔵相会議が開かれた。

新たにイタリアとカナダが加わった。

カナダ
カナダ

プラザ合意が結ばれた翌1986年の7カ国蔵相会議に新たに加わった。

第3次中曽根康弘内閣(だいさんじなかそねやすひろないかく)
第3次中曽根康弘内閣(だいさんじなかそねやすひろないかく)

1986年7月22日 - 1987年11月6日

中曽根康弘が第73代内閣総理大臣に任命された内閣。

行財政改革の一環として1987年に国鉄を分割民営化した。

バブル景気(ばぶるけいき)
バブル景気(ばぶるけいき)

1986年12月 - 1991年2月

日本で起こった資産価格の上昇と好景気、およびそれに付随して起こった社会現象のこと。1991年のバブル経済崩壊後、日本の国内産業は空洞化が進んだ。

国鉄(こくてつ)
国鉄(こくてつ)

1987年

中曽根康弘政権のもと分割民営化された。