縄文時代【高校:日本史】 約1万3000年前 - 前4世紀頃
絵の並びは下に行くほど歴史的に新しい出来事です。
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- 完新世(かんしんせい)
氷河時代の後の1万年前から現在まで続く温暖な気候の時代。
日本も現在とほぼ同じ自然環境になった。
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- 海進(かいしん)
現在から1万年ほど前、氷河時代を脱して温暖化した結果、これまで陸地であった低地に海水が侵入したことを指して「海進」という。
これにより多くの入り江が出現した。
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- 落葉広葉樹林(らくようこうようじゅりん)
亜寒帯性の針葉樹林に替わり温帯性の森林が復活し、東日本にはブナやナラなどの落葉広葉樹林が広がった。
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- 照葉樹林(しょうようじゅりん)
亜寒帯性の針葉樹林に替わり温帯性の森林が復活し、西日本にはシイやカシなどの照葉樹林が広がった。
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- 縄文人(じょうもんじん)
縄文時代に生きた人、縄文人。
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- 縄文土器(じょうもんどき)
縄文時代に使われていた土器。
粘土を高温で焼く技術が無かったため黒褐色で厚手であり、縄目の文様を持つものが多かったことから「縄文土器」と呼ばれた。
食品の保存や煮沸に用いられた。
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- 保存(ほぞん)
縄文土器は食品の保存に用いられた。
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- 煮沸(しゃふつ)
縄文土器は食品の煮沸に用いられた。
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- 山麓の森林(さんろくのしんりん)
縄文時代の人々は自然環境から利用できる資源を求めて冬は山麓の森林、夏は水辺(海辺)といった半定住の状態から、次第に本格的定住化が進んだ。
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- 水辺(みずべ)
縄文時代の人々は自然環境から利用できる資源を求めて冬は山麓の森林、夏は水辺(海辺)といった半定住の状態から、次第に本格的定住化が進んだ。
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- 磨製石器(ませいせっき)
磨(みが)いて作られた石器。
磨製石器の出現は、縄文文化を特徴づけるもののひとつ。
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- アニミズム
縄文人たちは、岩石・樹木などの自然物や動植物、自然現象に霊威・霊魂が存在すると考え畏怖・崇拝したが、このような原始信仰をアニミズムという。
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- 土偶(どぐう)
縄文時代の呪術的な土製品。
女性をかたどることが多い。
自然の豊かな恵みを祈る呪術や祭儀に用いられたと推測される。
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- 石棒(せきぼう)
生殖器を模した道具。
自然の豊かな恵みを祈る呪術や祭儀に用いられたと推測される。
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- 環状集落(かんじょうしゅうらく)
広場を取り囲むようにして住居が立地する集落のこと。
縄文時代の集落の典型。
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- 抜歯(ばっし)
縄文時代の中頃から盛んになった抜歯の風習は、通過儀礼の一つとして成人式に行われた。
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- 弓矢(ゆみや)
縄文時代になると森林の中でも使用しやすい弓矢が使用されるようになった。
主に中・小型動物を狩るのに使用された。
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- 落とし穴(おとしあな)
狩猟の時に落とし穴が用いられるようになった。
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- 網(あみ)
漁労において網が用いられるようになった。
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- 石錘(せきすい)
漁具として用いられた石器の一種。
網や釣り糸に取り付けて重りとして使われた。
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- 三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)
青森県にある日本最大級の縄文集落跡。
不自然に栗が群生している地域も発見されており、意図的に形成されたのではとの説がある。
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- 三内丸山遺跡の場所(さんないまるやまいせきのばしょ)
ここらへん。
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- 貝塚(かいづか)
貝を食べて、その貝殻を捨てたものなどが層を成して堆積している遺跡。
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- 大森貝塚(おおもりかいづか)
1877年にモースによって発見された貝塚。
日本で最初に学術調査が行われたことから「日本考古学発祥の地」と言われてる。
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- 大森貝塚の場所(おおもりかいづかのばしょ)
ここらへん。
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- モース
1838年 - 1925年
アメリカ人の動物学者。
大森貝塚を発掘した。
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- 朝寝鼻貝塚(あさねばなかいづか)
岡山県の貝塚。
プラントオパールが検出され、縄文前期~中期に陸稲の行われていた可能性が示されている。
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- プラントオパール
イネ科の植物に含まれるケイ酸が化石化したもの。
朝寝鼻貝塚で検出され、縄文前期~中期に陸稲の行われていた可能性が示されている。
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- 伊勢堂岱遺跡(いせどうたいいせき)
環状列石を持つ遺跡。
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- 環状列石(かんじょうれっせき)
自然石を環状に配置したもの。
伊勢堂岱遺跡も環状列石を持つ。