天皇の覚え方
入試問題によく出る天皇を一覧にしました。ただし、入試問題に出る可能性のある全ての天皇を掲載したことを保証するものではありません。
天皇の覚え方のコツですが、「名前」と「やったこと」と一緒に「キャラクターの絵」も合わせて覚えてください。
「キャラクターの絵」があるだけで、大分覚えやすくなっているはずです。
古墳時代
雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)[生没年不詳]

第21代天皇(在位:?年 - ?年)。
幽霊(「ゆう」れい)っぽいキャラクター、雄略天皇です。
中国の南朝へ朝貢した「倭の五王」のうち「武」は雄略天皇のことだと考えられています。
継体天皇(けいたいてんのう)[450年? - 531年?]

第26代天皇(在位:507年? - 531年?)。
ケータイ電話のキャラクター、継体天皇です。
継体天皇の治世の時に百済からの五経博士が日本に儒教を伝え、「任那四県」の割譲、筑柴国造磐井の乱がありました。
欽明天皇(きんめいてんのう)[510年? - 571年?]

第29代天皇(在位:539年? - 571年?)。
菌(「きん」)を保持していそう、目(「め」)に特徴があるキャラクター、欽明天皇です。
欽明天皇の頃に、百済より仏教が伝来し、任那が滅亡しました。
飛鳥時代
崇峻天皇天皇(すしゅんてんのう)[?年 - 592年]

第32代天皇(在位:587年 - 592年)。
寿司っぽいキャラクター、崇峻天皇です。
蘇我馬子と仲が悪く、馬子の命令を受けた馬子の部下に殺害されました。
推古天皇(すいこてんのう)[554年 - 628年]

第33代天皇(在位:592年 - 628年)。
おたまじゃくしのキャラクター、推古天皇です。
初めての女性天皇です。
厩戸皇子(推古天皇の甥)と、蘇我馬子が推古天皇を補佐しました。
舒明天皇(じょめいてんのう)[593年 - 641年]

第34代天皇(在位:629年 - 641年)。
魔女っぽいキャラクター、舒明天皇です。
百済大寺を創建しました。これは、後の大官大寺です。
皇極天皇(こうぎょくてんのう)[594年 - 661年]

第35代天皇(在位:642年 - 645年)。
黄色い玉(黄玉:こうぎょく)のキャラクター、皇極天皇です。
645年の乙巳の変の直後に孝徳天皇に在位を譲りました。
孝徳天皇(こうとくてんのう)[596年 - 654年]

第36代天皇(在位:645年 - 654年)。
黄(「こう」)、戸(「と」)、「ク」マなキャラクター、孝徳天皇です。
645年の乙巳の変の後に即位しました。
中大兄皇子を皇太子として政治改革(大化の改新)を推進しました。
斉明天皇(さいめいてんのう)[594年 - 661年]

第37代天皇(在位:655年 - 661年)。
「サイ」の足とツノを持ち、目(「め」)に特徴があるキャラクター、斉明天皇です。
大化の改新を挟んで、皇極天皇が再度天皇の座につき、斉明天皇となりました。
一度退位した天皇が再び天皇の座につくことを「重祚(ちょうそ)」といい、歴史上重祚した天皇はこの斉明天皇と、奈良時代の称徳天皇の二人だけです。
天智天皇(てんじてんのう)[626年 - 671年]

第38代天皇(在位:668年 - 671年)。
乙巳の変で中臣鎌足とともに蘇我氏を滅ぼし、大化の改新で政治改革を行った中大兄皇子が、近江大津宮で即位して天智天皇となりました。
天武天皇(てんむてんのう)[631年? - 686年]

第40代天皇(在位:673年 - 686年)。
天智天皇の弟です。
672年の壬申の乱で天智天皇の子である大友皇子に勝利した大海人皇子が、翌年飛鳥浄御原宮で即位して天武天皇になりました。
八色の姓によって天皇を中心とした新たな身分秩序を定めました。
日本最初の鋳造銭貨である富本銭は天武天皇の時代に鋳造されました。
持統天皇(じとうてんのう)[645年 - 703年]

第41代天皇(在位:690年 - 697年)。
天智天皇の娘です。
即位式を行わずに政治を執る「称制」を行っ(686年 - 689年)たあと天皇となりました。
飛鳥浄御原令を施行し、庚寅年籍で班田収授を軌道にのせ律令国家を確立させ、藤原京に遷都しました。
奈良時代に作成された歴史書『日本書紀』には持統天皇の時代までの歴史が記されています。
文武天皇(もんむてんのう)[683年 - 707年]

第42代天皇(在位:697年 - 707年)。
「文」章を書く筆の触角、足が6本で虫(「む」し)っぽいキャラクター、文武天皇です。
701年に日本で初めての本格的な律令である大宝律令が完成し、翌年公布しています。
藤原宮子との間に子(聖武天皇)が生まれました。
元明天皇(げんめいてんのう)[661年 - 721年]

第43代天皇(在位:707年 - 715年)。
持統天皇の妹。女帝。
元明天皇の治世の時に皇朝十二銭の端緒である和同開珎が作られました。
奈良に都を移して平城京としました。
奈良時代
元明天皇(げんめいてんのう)[661年 - 721年]

第43代天皇(在位:707年 - 715年)。
持統天皇の妹。女帝。
元明天皇の治世の時に皇朝十二銭の端緒である和同開珎が作られました。
奈良に都を移して平城京としました。
聖武天皇(しょうむてんのう)[701年 - 756年]

第45代天皇(在位:724年 - 749年)。
「聖」なる虫(「む」し)のキャラクター、聖武天皇です。
740年の藤原広嗣の乱の後、平城京から恭仁京、難波京、紫香楽宮の順に遷都を行った後、再び平城京に遷都しました。
国分寺建立の詔を出して全国に国分寺・国分尼寺などを建立させました。
国分寺の中心をなす「総国分寺」として東大寺を建立しました。
大仏造立の詔を出して東大寺に大仏を作らせました。
孝謙天皇(こうけんてんのう)[718年 - 770年]

第46代天皇(在位:749年 - 758年)。
聖武天皇の娘です。
752年に東大寺で大仏開眼供養が、聖武太上天皇、光明皇太后も参列して盛大に行われました。
淳仁天皇(じゅんにんてんのう)[733年 - 765年]

第47代天皇(在位:758年 - 764年)。
藤原仲麻呂に後ろだてしてもらい、仲麻呂に恵美押勝の名を与えました。
この頃、孝謙上皇が道教を寵愛するようになっており、恵美押勝がこれを諫めましたが、孝謙上皇は聞かず、恵美押勝は孝謙上皇、道教らに対して764年に乱を起こしました(恵美押勝の乱)が鎮圧されました。
称徳天皇(しょうとくてんのう)[718年 - 770年]

第48代天皇(在位:764年 - 770年)。
恵美押勝の乱後、淳仁天皇を廃位させ、孝謙上皇がもう一度天皇になり、称徳天皇と称しました。
一度退位した天皇が再び天皇の座につくことを「重祚(ちょうそ)」といい、歴史上重祚した天皇はこの称徳天皇と、飛鳥時代の斉明天皇の二人だけです。
764年に世界最古の現存印刷物である百万塔陀羅尼を作らせました。
平安時代
桓武天皇(かんむてんのう)[737年 - 806年]

第50代天皇(在位:781年 - 806年)。
784年に平城京から長岡京に移すが、遷都を主導していた藤原種継が暗殺され、犯人と疑われた早良親王を処罰したところ、相次ぐ災難が発生し、陰陽師に祟りだといわれ、和気清麻呂にも勧められ794年に平安京へ都を移しました。
班田期間を6年1班から12年1班に改め、班田収授を奨励しましたが、効果は僅かでした。
雑徭を60日から30日に改め、公民の維持に努めましたが、効果は僅かでした。
平城天皇(へいぜいてんのう)[774年 - 824年]

第51代天皇(在位:806年 - 809年)。
天皇を辞して太上天皇となった後、平城遷都を主張し、藤原薬子と結び嵯峨天皇と対立しましたが、810年に薬子の変で敗れて出家しました。
嵯峨天皇(さがてんのう)[786年 - 842年]

第52代天皇(在位:809年 - 823年)。
810年の薬子の変で平城太上天皇・藤原薬子を破りました。
文化秀麗集という勅撰漢詩集を作らせました。
弘仁式という律令の保管のための法令集を作成させました。
公営田・勅旨田の設置を行いました。
平安京内の警察や裁判などを職務とする検非違使を設置しました。
藤原冬嗣を蔵人頭に任じました。
仁明天皇(にんみょうてんのう)[810年 - 850年]

第54代天皇(在位:833年 - 850年)。
仁明天皇のとき、清原夏野らによって編纂された『令義解』が施行されました。
清和天皇(せいわてんのう)[850年 - 881年]

第56代天皇(在位:858年 - 876年)。
清和天皇の時に貞観格式が編纂されました。
宇多天皇(うだてんのう)[867年 - 931年]

第59代天皇(在位:887年 - 897年)。
藤原基経を関白に任じようとした際、阿衡の紛議を起こされました。
醍醐天皇(だいごてんのう)[885年 - 930年]

第60代天皇(在位:897年 - 930年)。
摂関を置かずに親政を行いました。
左大臣を藤原時平、右大臣を菅原道真としましたが、両者が対立し、901年に菅原道真は大宰府に左遷されました。
902年に延喜の荘園整理令を発令しました。
914年に三善清行が醍醐天皇に意見十二箇条を提出しました。
朱雀天皇(すざくてんのう)[923年 - 952年]

第61代天皇(在位:930年 - 946年)。
朱雀天皇の時代には、藤原忠平が摂関として取り仕切っていました。
村上天皇(むらかみてんのう)[926年 - 967年]

第62代天皇(在位:946年 - 967年)。
当初、藤原忠平が摂関として取り仕切っていましたが、忠平の没後は摂関を置かずに親政を行いました。
村上天皇の時代には皇朝十二銭の最後である乾元大宝が発行されました。
村上天皇の時代に2番目の勅撰和歌集である『後撰和歌集』が編纂されました。
一条天皇(いちじょうてんのう)[980年 - 1011年]

第66代天皇(在位:986年 - 1011年)。
一条天皇の時代に3番目の勅撰和歌集である『拾遺和歌集』が編纂さましれた。
後一条天皇(ごいちじょうてんのう)[1008年 - 1036年]

第68代天皇(在位:1016年 - 1036年)。
藤原道長の外孫。
後朱雀天皇(ごすざくてんのう)[1009年 - 1045年]

第69代天皇(在位:1036年 - 1045年)。
藤原道長の外孫。
後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)[1025年 - 1068年]

第70代天皇(在位:1045年 - 1068年)。
藤原道長の外孫。
後三条天皇(ごさんじょうてんのう)[1034年 - 1073年]

第71代天皇(在位:1068年 - 1072年)。
宇多天皇以来170年ぶりに藤原氏を外戚としない天皇。
違法荘園の整理のために1069年に延久の荘園整理令を発布し、その審査を行う機関として記録荘園券契所を設置しました。
白河天皇の父親です。
白河天皇(しらかわてんのう)[1053年 - 1129年]

第72代天皇(在位:1072年 - 1086年)。
父親は後三条天皇。
六勝寺のひとつである「法勝寺」を建てました。
院政を始めるにあたり、堀河天皇を即位させました。
1086年から上皇となり、院政を始めました。白河上皇は本格的な院政を最初に始めた人です
堀河天皇(ほりかわてんのう)[1079年 - 1107年]

第73代天皇(在位:1086年 - 1107年)。
父親は白河上皇。
白河天皇が院政を始めるにあたり即位させました。
善政を行い「末代の賢王」と呼ばれました。
六勝寺のひとつである「尊勝寺」を建てました。
鳥羽天皇(とばてんのう)[1003年 - 1156年]

第74代天皇(在位:1107年 - 1123年)。
六勝寺のひとつである最勝寺を建てました。
崇徳天皇(すとくてんのう)[1119年 - 1164年]

第75代天皇(在位:1123年 - 1141年)。
上皇になった後の1156年に保元の乱で後白河天皇と争って敗れました。
後白河天皇(ごしらかわてんのう)[1127年 - 1192年]

第77代天皇(在位:1155年 - 1158年)。
1156年に保元の乱で崇徳上皇を破りました。
上皇になった後、御所として三十三間堂が造営されましたが、その三十三間堂を本堂とする寺院を蓮華王院と言います。
(平安時代末期当時にとっての)現代風の歌謡である今様を愛好していました。
高倉天皇(たかくらてんのう)[1161年 - 1181年]

第80代天皇(在位:1168年 - 1180年)。
平清盛の娘を中宮(妻)とし、安徳天皇が生まれました。
安徳天皇(あんとくてんのう)[1178年 - 1185年]

第81代天皇(在位:1180年 - 1185年)。
高倉天皇と、平清盛の娘との間に生まれた子。
鎌倉時代
後鳥羽天皇(ごとばてんのう)[1180年 - 1239年]

第82代天皇(在位:1183年 - 1198年)。
1198年から上皇となり院政を行いました。
1205年に藤原定家に『新古今和歌集』を作成させました。
1221年に承久の乱で北条義時と争いましたが、、敗れ、隠岐へ流されました。
後嵯峨天皇(ごさがてんのう)[1220年 - 1272年]

第88代天皇(在位:1242年 - 1246年)。
後深草天皇(ごふかくさてんのう)[1243年 - 1304年]

第89代天皇(在位:1246年 - 1260年)。
父母が自身より弟の亀山天皇を寵愛したため不満を抱き、やがて後深草系の持明院統と亀山系の大覚寺統との対立が生じるようになりました。。
亀山天皇(かめやまてんのう)[1249年 - 1305年]

第90代天皇(在位:1260年 - 1274年)。
大覚寺統の祖。
兄の後深草天皇を差し置いて父母から寵愛され、やがて亀山系の大覚寺統と後深草系の持明院統との対立が生じることとなりました。
後醍醐天皇(ごだいごてんのう)[1288年 - 1339年]

第96代天皇(在位:1318年 - 1339年)。
大覚寺統。鎌倉幕府の力で天皇となりました。
自らの立場の弱さに不満を持ち鎌倉幕府打倒を計画しました。
1324年に後醍醐天皇の最初の倒幕計画である「正中の変」と呼ばれる事件がありましたが、事前に発覚して失敗しました。
1331年に後醍醐天皇の次の倒幕計画である「元寇の変」と呼ばれる事件がありましたが、事前に発覚して失敗し、後醍醐天皇は隠岐へ流されました。
1333年に隠岐から脱出し、悪党などを味方に付けて幕府を倒しました。
建武の新政
後醍醐天皇(ごだいごてんのう)[1288年 - 1339年]

第96代天皇、および南朝の初代天皇(在位:1318年 - 1339年)。
鎌倉幕府滅亡後の1333年に建武の新政を始めました。
天皇親政の象徴として大内裏造営計画を行いますが、建武の新政が短期間で破綻したため実行されませんでした。
二条河原の落書で建武の新政を批判する落書が書かれました。
足利尊氏と対立し吉野に逃れて抵抗を続けました。この皇統が南朝となります。
室町時代
後醍醐天皇(ごだいごてんのう)[1288年 - 1339年]

第96代天皇、および南朝の初代天皇(在位1318年 - 1339年)。
足利尊氏と対立した後醍醐天皇は吉野に逃れて抵抗を続けました。その皇統が南朝となりました。
光明天皇(こうみょうてんのう)[1322年 - 1380年]

北朝第2代天皇(在位:1336年 - 1348年)。
北朝・南朝の分裂は足利尊氏が後醍醐天皇に対抗して光明天皇を擁立したことに始まります。
後亀山天皇(ごかめやまてんのう)[?年 - 1424年]

南朝最後の天皇(在位:1383年 - 1392年)。
1392年に足利義満の説得を受け南北朝の合体を実現しました。
後小松天皇(ごこまつてんのう)[1377年 - 1433年]

南北朝合体時の北朝の天皇(在位:1382年 - 1412年)。
安土桃山時代
正親町天皇(おおぎまちてんのう)[1517年 - 1593年]

第106代天皇(在位1557年 - 1586年)。
織田信長と石山本願寺の争いの講和を仲介しました。
江戸時代
後水尾天皇(ごみずのおてんのう)[1596年 - 1680年]

第108代天皇(在位1611年 - 1629年)。
1627年に紫衣事件を起こしました。
1629年に幕府の同意なく明正天皇に譲位しました。
明正天皇(めいしょうてんのう)[1624年 - 1696年]

第109代天皇(在位:1629年 - 1643年)。
女帝。徳川和子の子。
後水尾天皇が幕府の同意を得ずに明正天皇に譲位しましたが明正天皇は徳川秀忠の娘の徳川和子の子ということもあり、幕府はこれを追認しました。
1634年には徳川家光が将軍の権威を示すために明正天皇のもとに軍勢を率いて上洛しました。
霊元天皇(れいげんてんのう)[1654年 - 1732年]

第112代天皇(在位:1663年 - 1687年)。
上皇となった後の1687年の東山天皇即位の際、大嘗会の再興を幕府に願い、実現させました。
後桜町天皇(ごさくらまちてんのう)[1740年 - 1813年]

第117代天皇(在位:1762年 - 1770年)。
女帝。
江戸時代で二度目の女性天皇です。
光格天皇(こうかくてんのう)[1771年 - 1840年]

第119代天皇(在位:1780年 - 1817年)。
1789年に尊号一件とよばれる事件を起こしました。
孝明天皇(こうめいてんのう)[1831年 - 1867年]

第121代天皇(在位:1846年 - 1866年)。
井伊直弼が日米修好通商条約に調印したことに強く反対しました。
孝明天皇の妹の和宮が徳川家茂と結婚しました。
1865年に徳川家茂の請願を受けて、アメリカとの日米修好通商条約ほかイギリス、フランス、オランダ、ロシアとの通商条約を勅許しました。
明治天皇(めいじてんのう)[1852年 - 1912年]

第122代天皇(在位:1867年 - 1912年)。
1867年に大政奉還を行いました。
同じく1867年に王政復古の大号令を行いました。
明治時代には大日本帝国憲法を制定し、日清戦争・日露戦争で勝利しました。
以上が覚えるべき天皇となります。
ぜひ覚えてください。