飛鳥時代【高校:日本史】 592年 - 645年

絵の並びは下に行くほど歴史的に新しい出来事です。

飛鳥時代(あすかじだい)
飛鳥時代(あすかじだい)

592年 - 645年

推古朝から大化の改新頃までの時代を指します。

飛鳥文化(あすかぶんか)
飛鳥文化(あすかぶんか)

仏教伝来の頃から大化の改新までの時期に飛鳥地方で栄えた文化。遣隋使や渡来人などによって海外の文化が伝えられました。また、厩戸王が仏教を強く勧めたこともあって、日本で最初に仏教の影響を受けた文化です。

物部守屋(もののべのもりや)
物部守屋(もののべのもりや)

?年 - 587年

物部尾輿の子。

排仏派なので「仏教とか怪しいわー」って言ってたら。崇仏派の蘇我馬子に滅ぼされた。ひどい……。

蘇我馬子(そがのうまこ)
蘇我馬子(そがのうまこ)

?年 - 626年

蘇我稲目の子。

馬子って言う名前だけど男です。

崇仏派なので、排仏派の物部守屋っていう人を滅ぼしました。

その後、推古天皇と厩戸皇子と共に政治を色々頑張りました。

厩戸皇子(うまやどのおうじ)
厩戸皇子(うまやどのおうじ)

574年 - 622年

推古天皇の甥。

蘇我馬子の側について物部守屋と戦う。

その時に、この戦いに勝利すれば建立するという誓いを立てたことに従って、593年に四天王寺を建立する。

厩戸王とも呼ばれる。

崇峻天皇(すしゅんてんのう)
崇峻天皇(すしゅんてんのう)

?年 - 592年

第32代天皇(在位:587年 - 592年)。

蘇我馬子と仲が悪く、馬子の命令を受けた馬子の部下に殺害された。

四天王寺(してんのうじ)
四天王寺(してんのうじ)

593年

厩戸王は蘇我馬子の側について物部守屋と戦った際に、勝利したら建てると誓ったことに従って、戦いの後に四天王寺を建立した。

参考
四天王寺の歴史 - 和宗総本山 四天王寺

四天王寺は現在の大阪市にある(してんのうじはげんざいのおおさかしにある)
四天王寺は現在の大阪市にある(してんのうじはげんざいのおおさかしにある)

厩戸皇子が建立した四天王寺は、現在の大阪市にあります。

参考
四天王寺への交通アクセス - 和宗総本山 四天王寺

飛鳥寺(あすかでら)
飛鳥寺(あすかでら)

蘇我馬子が物部氏との戦争に勝利した謝恩として596年に建立した蘇我氏の氏寺。

塔の周囲に3つの金堂が配置された日本最古の伽藍配置をもつ。

金堂(こんどう)
金堂(こんどう)

本尊を安置する堂。本堂ともいう。

飛鳥寺は、塔の周囲に3つの金堂が配置された日本最古の伽藍配置をもつ。

飛鳥寺釈迦如来像(あすかでらしゃかにょらいぞう)
飛鳥寺釈迦如来像(あすかでらしゃかにょらいぞう)

飛鳥寺の本尊。

北魏様式を伝えている。

金銅像。

鞍作鳥の作。

鞍作鳥(くらつくりのとり)
鞍作鳥(くらつくりのとり)

?年 - ?年

渡来人氏族。

日本の初期仏教の中で多くの仏像を残した。

推古天皇(すいこてんのう)
推古天皇(すいこてんのう)

554年 - 628年

第33代天皇(在位:592年 - 628年)。

初めての女性天皇。

厩戸王(推古天皇の甥)と蘇我馬子が天皇を補佐した。

観勒(かんろく)
観勒(かんろく)

生没年不詳。

602年に来日し、暦法を伝えた百済の僧侶。

冠位十二階(かんいじゅうにかい)
冠位十二階(かんいじゅうにかい)

603年

氏族単位の王権組織を再編成するために行われた、個人に冠位を与える制度。

厩戸皇子が制定した。

憲法十七条(けんぽうじゅうしちじょう)
憲法十七条(けんぽうじゅうしちじょう)

604年

厩戸王が制定した日本最古の成文法。

冠位十二階の後に制定された。

「和を以て貴しと為し、忤ふること無きを宗とせよ。」的なことが書かれてる。

百済から伝わった「仏教」「儒教」の尊重も憲法十七条に盛り込んでいる。

法隆寺(ほうりゅうじ)
法隆寺(ほうりゅうじ)

607年

厩戸皇子が作ったお寺。

創建時の建物は670年に焼失し、現在残っているものはその後再建されたもの。

現存する世界最古の木造建築物

普通に観光で行けるから、皆もぜひ行こう。

聖徳宗総本山 法隆寺

法隆寺金堂釈迦三尊像(ほうりゅうじこんどうしゃかさんぞんぞう)
法隆寺金堂釈迦三尊像(ほうりゅうじこんどうしゃかさんぞんぞう)

法隆寺に伝来する、鞍作鳥の作とされる金銅像。

北魏様式。

参考
仏像 - 金堂 | 聖徳宗総本山 法隆寺

法隆寺百済観音像(ほうりゅうじくだらかんのんぞう)
法隆寺百済観音像(ほうりゅうじくだらかんのんぞう)

法隆寺が所蔵する飛鳥時代作の仏像。国宝。日本における木造仏像彫刻の古例として貴重。

参考
大宝蔵院 | 聖徳宗総本山 法隆寺

法隆寺夢殿救世観音像(ほうりゅうじゆめどのくぜかんのんぞう)
法隆寺夢殿救世観音像(ほうりゅうじゆめどのくぜかんのんぞう)

木像。

飛鳥時代の代表的な作品。

参考
夢殿・絵殿・舎利殿・伝法堂・東院鐘楼 | 聖徳宗総本山 法隆寺

玉虫厨子(たまむしのずし)
玉虫厨子(たまむしのずし)

法隆寺玉虫厨子には、捨身飼虎図などの仏教の経文から題材を選んだ絵画が描かれている。

参考
大宝蔵院 | 聖徳宗総本山 法隆寺

曇徴(どんちょう)
曇徴(どんちょう)

?年 - ?年

7世紀初期に来日した高句麗の僧。

彩色や墨などの製法を伝えた。

古代日本の絵画史の重要人物。

墨(すみ)
墨(すみ)

曇徴は日本に墨の製法を伝えた。

隋(ずい)
隋(ずい)

581年 - 618年

中国の王朝。

科挙(かきょ)
科挙(かきょ)

598年 - 1905年

中国で行われた、庶民でも学才次第で官位に進むことができることを可能にした人材登用試験制度。

隋の時代から清の時代まで行われた。

煬帝(ようだい)
煬帝(ようだい)

569年 - 618年

隋の皇帝(在位:604年 - 618年)。

煬帝が皇帝の時に、小野妹子が第二回遣隋使として派遣されてくる。

しかしその際、倭(日本)は隋の冊封体制に入らずに一定の距離を置いた。

小野妹子(おののいもこ)
小野妹子(おののいもこ)

生没年不詳

607年に第二次遣隋使として日本から隋に派遣された。

遣隋使(けんずいし)
遣隋使(けんずいし)

大和朝廷が隋に派遣した使節。

小野妹子は第二次遣隋使として607年に日本から隋に派遣された。

倭の五王時代と異なり、隋に臣属しない形式をとった。

裴世清(はいせいせい)
裴世清(はいせいせい)

生没年不詳

608年の小野妹子の帰国の際に、隋の答礼使として来日した。

聖徳太子(しょうとくたいし)
聖徳太子(しょうとくたいし)

622年に厩戸皇子が亡くなった。

厩戸皇子は死後、聖徳太子と呼ばれるようになった。

高向玄理(たかむこのくろまろ)
高向玄理(たかむこのくろまろ)

? - 654年

留学生として遣隋使に同行。

帰国後に旻とともに国博士に任じられる。

旻(みん)
旻(みん)

? - 653年

学問僧として遣隋使に同行。

帰国後に高向玄理とともに国博士に任じられる。

南淵請安(みなぶちのしょうあん)
南淵請安(みなぶちのしょうあん)

生没年不詳。

学問僧として遣隋使に同行。

帰国後に、中大兄皇子・中臣鎌足らに儒学を教えた。

天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)
天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)

厩戸王子とその母后の往生を祈って妃であった橘大郎女が作らせたといわれる、王の往生した先の有様を刺繍で描いた染色工芸品。

部分的に中宮寺に残されている。

橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)
橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)

? - ?

厩戸王の妃。

中宮寺(ちゅうぐうじ)
中宮寺(ちゅうぐうじ)

厩戸王(聖德太子) によって創建されたお寺。

中宮寺半跏思惟像や天寿国繍帳を所蔵する。

中宮寺半跏思惟像(ちゅうぐうじはんかしゆいぞう)
中宮寺半跏思惟像(ちゅうぐうじはんかしゆいぞう)

木像。

片足を膝の上に置いている。

参考
中宮寺について | 聖徳宗 中宮寺 公式ホームページ

広隆寺半跏思惟像(こうりゅうじはんかしゆいぞう)
広隆寺半跏思惟像(こうりゅうじはんかしゆいぞう)

木像。

片足を膝の上に置いている。

参考
中宮寺について | 聖徳宗 中宮寺 公式ホームページ

唐(とう)
唐(とう)

618年 - 907年

李淵が隋を滅ぼして建国した中国の王朝。

遣唐使(けんとうし)
遣唐使(けんとうし)

日本が唐に派遣した使節のこと。

618年に隋が滅んで唐が建ったので「遣隋使」から「遣唐使」という名称となった。

山背大兄王(やましろのおおえのおう)
山背大兄王(やましろのおおえのおう)

?年 - 643年

厩戸皇子の子。

有力な皇位継承候補者とされていたが、643年に蘇我入鹿に攻撃されて自害した。

舒明天皇(じょめいてんのう)
舒明天皇(じょめいてんのう)

593年 - 641年

第34代天皇(在位:629年 - 641年)。

百済大寺を創建した。

百済大寺(くだらおおでら)
百済大寺(くだらおおでら)

舒明天皇の創建。

のちの大官大寺。

皇極天皇(こうぎょくてんのう)
皇極天皇(こうぎょくてんのう)

594年 - 661年

第35代天皇(在位:642年 - 645年)。

乙巳の変の直後に孝徳天皇に在位を譲った。

蘇我蝦夷(そがのえみし)
蘇我蝦夷(そがのえみし)

?年 - 645年

蘇我馬子の子供。

大臣として権力をふるっていたが、子の蘇我入鹿が乙巳の変で殺された後、自宅に火を放って自害した。

蘇我入鹿(そがのいるか)
蘇我入鹿(そがのいるか)

?年 - 645年

蘇我蝦夷の子供。

大臣として父親よりも権力をふるっていたが、乙巳の変で殺害された。

乙巳の変(いっしのへん)
乙巳の変(いっしのへん)

645年

蘇我氏の専横に危機感を抱いた中大兄皇子や中臣鎌足らが蘇我入鹿を殺害した政変。

この年の干支(えと)にちなんで乙巳の変と呼ばれる。

中臣鎌足(なかとみのかまたり)
中臣鎌足(なかとみのかまたり)

614年 - 669年

中臣鎌足っていう名前だけど、後に藤原鎌足(ふじわらのかまたり)っていう名前になります。

中大兄皇子と共に蘇我氏を滅ぼした(乙巳の変)。

その後、政治も色々改革した。

蘇我氏を滅ぼしてから政治改革を行うまでの全てをまとめて大化の改新(たいかのかいしん)という。

中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)

626年 - 671年

645年に乙巳の変で中臣鎌足と共に蘇我一族を倒し、その後政治改革を行う。

蘇我氏を倒してから行った政治改革までをまとめて大化の改新という。

白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に大敗すると、西日本の防御態勢を強化した。

孝徳天皇(こうとくてんのう)
孝徳天皇(こうとくてんのう)

596年 - 654年

第36代天皇(在位:645年 - 654年)。

乙巳の変の直後に即位。

中大兄皇子を皇太子として政治改革(大化の改新)を推進した。

国博士(くにのはかせ)
国博士(くにのはかせ)

大化の改新の際に高向玄理と旻が任命された職。

唐の諸制度を日本に輸入する役目を負った。

公地公民(こうちこうみん)
公地公民(こうちこうみん)

645年

大化の改新によって示された「土地と人民はすべて国のものだよ。」という改革方針。

計帳(けいちょう)
計帳(けいちょう)

調庸の基本台帳として毎年作成された。

計帳を使った支配は東北地方にまで及んでいた。

戸籍(こせき)
戸籍(こせき)

「戸」という家族単位で国民を登録する公文書。

6年ごとに作成された。

陵戸(りょうこ)
陵戸(りょうこ)

645年

律令制において中国に倣って日本は国民を良民と賤民に分けた(良賤の法)。賤民には5種類あった(五色の賤)が、陵戸はそのうちの一つで、天皇・皇族の陵墓を守る者。

磐舟柵(いわふねのき)
磐舟柵(いわふねのき)

648年

蝦夷がいる東北への進出の拠点として作られた城柵。

斉明天皇(さいめいてんのう)
斉明天皇(さいめいてんのう)

594年 - 661年

第37代天皇(在位:655年 - 661年)。

大化の改新を挟んで、皇極天皇が再度天皇の座につき、斉明天皇となった。

阿倍比羅夫(あべのひらふ)
阿倍比羅夫(あべのひらふ)

? - ?

658年から660年にかけて水軍を率いて蝦夷(日本の東北・北海道に住み、朝廷の支配に服属しなかった人々)を帰順させた。

百済が滅ぶ(くだらがほろぶ)
百済が滅ぶ(くだらがほろぶ)

660年に百済は唐・新羅連合軍によって滅亡し、百済の多くの人々が日本に移住した。

百済から来た亡命貴族は、日本に漢詩文をもたらし、国内では中国的教養として重視された。

白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)
白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)

663年

朝鮮半島での戦い。

百済の残存勢力と倭国軍が唐・新羅連合軍に敗れた。

白村江の戦いで日本・百済を破ったのは唐・新羅
白村江の戦いで日本・百済を破ったのは唐・新羅

白村江の戦いで倭国(日本)・百済連合軍を破ったのは唐・新羅連合軍。

防人(さきもり)
防人(さきもり)

白村江の戦いで大敗したことをきっかけに、唐や新羅が攻めてくるのではとの憂慮から、九州沿岸の防衛のために設置された軍事制度。東国から集められた人が防人として九州沿岸の防衛にあたった。

水城(みずき)
水城(みずき)

664年に大宰府を防備するために築造された土塁。

烽(とぶひ)
烽(とぶひ)

敵の襲来などを火や煙で都に急報するための設備。

白村江の戦い以降、防衛政策のために対馬・壱岐に664年に設けられた。

大野城(おおのじょう)
大野城(おおのじょう)

665年に大宰府を防備するのを目的に築かれた城。

近江大津宮(おうみのおおつのみや)
近江大津宮(おうみのおおつのみや)

667年に中大兄皇子が遷都した宮。

現在の滋賀県大津市。

668年にここで中大兄皇子が正式に即位して天智天皇となる。

天智天皇(てんじてんのう)
天智天皇(てんじてんのう)

626年 - 671年

第38代天皇(在位:668年 - 671年)。

中大兄皇子が668年、天皇に即位し、天智天皇となる。

高句麗が滅ぶ(こうくりがほろぶ)
高句麗が滅ぶ(こうくりがほろぶ)

668年

唐・新羅によって高句麗が滅び、高句麗から多くの人々が日本に移住した。

庚午年籍(こうごねんじゃく)
庚午年籍(こうごねんじゃく)

670年

最初の本格的な戸籍として、奈良時代にも身分の根本台帳とされた戸籍。

山田寺(やまだでら)
山田寺(やまだでら)

蘇我石川麻呂が建立した寺院。643年に金堂が建立された。

本尊は後に興福寺に奪われた。

興福寺仏頭(こうふくじぶっとう)
興福寺仏頭(こうふくじぶっとう)

もと山田寺にあった本尊の頭部で、のちに興福寺に奪われた。

火災で焼損したが、一部が残っており現在は国宝。

白鳳文化の代表作。

参考
銅造仏頭 - 興福寺

白鳳文化(はくほうぶんか)
白鳳文化(はくほうぶんか)

乙巳の変が起こってから平城京遷都までの時期の文化。

飛鳥文化と天平文化との中間に位置する。

法隆寺金堂壁画(ほうりゅうじこんどうへきが)
法隆寺金堂壁画(ほうりゅうじこんどうへきが)

白鳳文化の作品。

7世紀後半の絵画の傑作であり、敦煌などの西域の流れをくむとされる。

1949年に焼損し、文化財保護法制定のきっかけになった。

薬師寺東院堂聖観音像(やくしじとういんどうしょうかんのんぞう)
薬師寺東院堂聖観音像(やくしじとういんどうしょうかんのんぞう)

白鳳文化の作品。

金銅像。

参考
東院堂 - 奈良薬師寺 公式サイト|Yakushiji Temple Official Web Site

高松塚古墳壁画(たかまつづかこふんへきが)
高松塚古墳壁画(たかまつづかこふんへきが)

高松塚古墳の壁画。

白鳳文化の作品。

参考
高松塚古墳 | 国営飛鳥歴史公園

大友皇子(おおとものみこ)
大友皇子(おおとものみこ)

648年 - 672年

天智天皇の子。

大海人皇子との間に権力争いが起き、壬申の乱で天智天皇の築いた近江朝廷の勢力を背景に戦ったが敗れた後、自殺した。

大海人皇子(おおあまのみこ)
大海人皇子(おおあまのみこ)

631年? - 686年

天智天皇の弟。

大友皇子との間に権力争いが起き、壬申の乱で東国の兵を動員して戦力として勝利。

壬申の乱(じんしんのらん)
壬申の乱(じんしんのらん)

672年

皇位継承をめぐる内乱。大友皇子と大海人皇子が争い、大海人皇子が勝利した。

天武天皇(てんむてんのう)
天武天皇(てんむてんのう)

631年? - 686年

第40代天皇(在位:673年 - 686年)。

天智天皇の弟。壬申の乱で勝利。翌年、飛鳥浄御原宮で即位して天武天皇となり、専制君主として律令国家の建設を推進した。

八色の姓(やくさのかばね)
八色の姓(やくさのかばね)

天武天皇は天皇を中心とした新たな身分秩序を定めるために、真人や朝臣など8階の姓を新たに制定した。

飛鳥池遺跡(あすかいけいせき)
飛鳥池遺跡(あすかいけいせき)

奈良県明日香村大字飛鳥にある古代の工房遺跡。2001年国史跡指定。出土した木簡などから天武・持統天皇期(7世紀後期)から8世紀にかけての遺跡であることが確認された。特にそのうちのある工房からは富本銭の未成品560点および鋳型・鋳棹など鋳銭関連の出土品が発見されたことから、和同開珎以前に鋳造貨幣があったことが確認された。

富本銭(ふほんせん)
富本銭(ふほんせん)

683年頃に日本で作られたと推定される銭貨。

天武天皇の時代に鋳造された。

日本最初の鋳造銭貨。

班田収授法(はんでんしゅうじゅのほう)
班田収授法(はんでんしゅうじゅのほう)

飛鳥時代後期から平安時代前期に行われた制度。

唐(当時の中国の国名)の律令制を参考に、戸籍・計帳に基づいて、政府から受田資格を得た貴族や人民へ田が班給され、死亡者の田は政府へ収公された。こうして班給された田は課税対象であり、その収穫から租が徴収された。

条里制(じょうりせい)
条里制(じょうりせい)

班田収授の基礎になる耕地を6町四方の正方形区画を単位として、南北・東西方向の並び順に数字を当てて、所在を表示した土地区画制のこと。

薬師寺(やくしじ)
薬師寺(やくしじ)

天武天皇が建立した寺院。

参考
奈良薬師寺 公式サイト|Yakushiji Temple Official Web Site

持統天皇(じとうてんのう)
持統天皇(じとうてんのう)

645年 - 703年

天智天皇(中大兄皇子)の娘。

即位式を行わずに政治を執る「称制」を行っ(686年 - 689年)たあと天皇となる。

第41代天皇(在位:690年 - 697年)。

女帝。

飛鳥浄御原令を施行し、庚寅年籍で班田収授を軌道にのせ律令国家を確立させ、藤原京に遷都した。

奈良時代に作成された歴史書『日本書紀』には彼女の時代までの歴史が記されている。

飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)
飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)

689年施行。

日本古代の法典。

持統天皇の時に施行された。

これにより法的に皇太子制が確定した。

庚寅年籍(こういんねんじゃく)
庚寅年籍(こういんねんじゃく)

690年

飛鳥浄御原令にもとづいて最初に作られた戸籍。

大王宮(だいおうきゅう)
大王宮(だいおうきゅう)

大王の王宮。

藤原京以前は一代限りの大王宮が政治の場であり、豪族は氏の本拠地から政権に奉仕した。

官僚制(かんりょうせい)
官僚制(かんりょうせい)

天武天皇・持統天皇の時代に律令や官僚制が整備されると、藤原京が造営された。

藤原京(ふじわらきょう)
藤原京(ふじわらきょう)

694年 - 710年

中国の都城にならって造営された本格的な宮都。造営に際しては飛鳥浄御原令の法令に依拠した。

日本史上最初の条坊制の都市であり、官僚化した豪族が集住した。

宮域には天皇の住む内裏や、政務・儀式の場である朝堂院が造営され、朝堂院の中の大極殿では様々な儀式が行われた。

平城京に遷都されるまで日本の首都だった。

当初の発掘調査では中ツ道・下ツ道・横大路といった古道が京極(東西の端)をなすと考えられていたが、近年の発掘でより大規模な都であったことが確認された。

694年
694年

藤原京に遷都したのは694年。

覚え方は「ロック(69)よ(4)ろしく藤原京」です。

「ロック」がロックンロールなのか「鍵をしてね」という意味の「ロック」なのかは、好きな方をどうぞ。

周礼(しゅらい)
周礼(しゅらい)

中国の儒教の経典のひとつ。

藤原京は『周礼』の記述に依拠して造営された。

条坊制(じょうぼうせい)
条坊制(じょうぼうせい)

碁盤目状に土地を区画する制度のこと。

藤原京の宮(宮殿)は京域(都の全域)の中央に置かれ、後背にも条坊が広がっていた。

大極殿(だいごくでん)
大極殿(だいごくでん)

政務・儀式などが行われた朝堂院。その朝堂院を構成する施設の内のひとつが大極殿です。

ここで朝政や即位、大嘗祭などの重要儀式が行われた。

羅城(らじょう)
羅城(らじょう)

城壁のこと。

日本古代の都城は中国王朝のものに倣って造営されたが、中国の都城と異なり、都へ攻め込むような外敵が想定されなかったため一部にしか羅城を持たなかった。

これは日本独自の特徴とされる。

文武天皇(もんむてんのう)
文武天皇(もんむてんのう)

683年 - 707年

第42代天皇(在位:697年 - 707年)。

701年に大宝律令が完成し、翌年公布している。

刑部親王(おさかべしんのう)
刑部親王(おさかべしんのう)

?年 - 705年

天武天皇の皇子。

文武天皇の命により律令編纂の総裁となり、藤原不比等らとともに大宝律令を完成させた。

藤原不比等(ふじわらのふひと)
藤原不比等(ふじわらのふひと)

659年 - 720年

公卿。藤原鎌足の次男。

大宝律令の制定に参画し、養老律令編集の中心となる。

大宝律令(たいほうりつりょう)
大宝律令(たいほうりつりょう)

701年

文武天皇の時にの律令を模範として制定された日本で初めての本格的な律令(法体系)。

中央・地方の政治組織が明記され、土地制度や税負担のあり方なども規定されている。

刑罰のきまりで、政治を行う上での様々な決まり

律令をもとに政治を行う国を律令国家という。

年号の覚え方は「な(7)ぜ無い(0)の?1(1)から作るぞ大宝律令」です。

永徽律令(えいきりつれい)
永徽律令(えいきりつれい)

大宝律令は唐の永徽律令を範とし編纂された。

藤原宮子(ふじわらのみやこ)
藤原宮子(ふじわらのみやこ)

? - 754年

藤原不比等の娘。

藤原不比等は娘の宮子を文武天皇の後宮に入れ、宮子は文武天皇の夫人として聖武天皇を生んだ。

これが、藤原氏が天皇家の外戚になる端緒となった。

神祇官(じんぎかん)
神祇官(じんぎかん)

律令制の下、神祇祭祀を司る最高官庁。

政治を司る太政官と同格。

太政官(だいじょうかん)
太政官(だいじょうかん)

律令制の下、政治を司る最高官庁。

神祇祭祀を司る神祇官と同格。

太政大臣(だいじょうだいじん)
太政大臣(だいじょうだいじん)

太政官における最高の官職。

適任者がいない場合は設置されなかった。

律令制の下、国政は、太政大臣・左大臣・右大臣・大納言などの会議で審議された。

太政大臣は常置の職ではない
太政大臣は常置の職ではない

太政大臣は適任者がいない場合は設置されなかった。

左大臣(さだいじん)
左大臣(さだいじん)

太政官の職の一つ。

律令制の下、国政は、太政大臣・左大臣・右大臣・大納言などの会議で審議された。

右大臣(うだいじん)
右大臣(うだいじん)

太政官の職の一つ。

律令制の下、国政は、太政大臣・左大臣・右大臣・大納言などの会議で審議された。

大納言(だいなごん)
大納言(だいなごん)

太政官の次官。

律令制の下、国政は、太政大臣・左大臣・右大臣・大納言などの会議で審議された。

国司(こくし)
国司(こくし)

律令制の下、中央から諸国に派遣され、諸国の政務をつかさどった地方官。

諸国の役所である国府を拠点として統治した。

中央貴族が国司になった。

郡司(ぐんじ)
郡司(ぐんじ)

律令制の下、中央から派遣された国司の下で郡を治める地方官。

地方豪族が郡司になった。

国府(こくふ)
国府(こくふ)

この時代の諸国に置かれた役所。

国司はここを拠点として統治した。

国衙ともいう。

国衙(こくが)
国衙(こくが)

この時代の諸国に置かれた役所。

国司はここを拠点として統治した。

国府ともいう。

八省(はっしょう)
八省(はっしょう)

律令制において太政官に属する8つの中央行政官庁のこと。

中務省(なかつかさしょう)
中務省(なかつかさしょう)

八省のひとつ。

詔書の作成などを行った。

式部省(しきぶしょう)
式部省(しきぶしょう)

八省のひとつ。

文官の人事などを行った。

治部省(じぶしょう)
治部省(じぶしょう)

八省のひとつ。

仏事・外交事務などを行った。

民部省(みんぶしょう)
民部省(みんぶしょう)

八省のひとつ。

民政・財政など。

兵部省(ひょうぶしょう)
兵部省(ひょうぶしょう)

八省のひとつ。

軍事、武官の人事など。

刑部省(ぎょうぶしょう)
刑部省(ぎょうぶしょう)

八省のひとつ。

裁判、刑罰など。

大蔵省(おおくらしょう)
大蔵省(おおくらしょう)

八省のひとつ。

出納・物価など。

宮内省(くないしょう)
宮内省(くないしょう)

八省のひとつ。

宮中の事務など。

五衛府(ごえいふ)
五衛府(ごえいふ)

京内宮中の警護をおもな任務とする軍事組織。

衛門府・左衛士府・右衛士府・左兵衛府・右兵衛府の五つからなる。

衛門府(えもんふ)
衛門府(えもんふ)

五衛府のひとつ。

諸門を守護した。

左衛士府・右衛士府(さえじふ・うえじふ)
左衛士府・右衛士府(さえじふ・うえじふ)

五衛府のひとつ。

小門の警衛などをした。

左兵衛府・右兵衛府(さひょうえふ・うひょうえふ)
左兵衛府・右兵衛府(さひょうえふ・うひょうえふ)

五衛府のひとつ。

内門の警衛などをした。

官人(かんじん)
官人(かんじん)

官吏、役人のこと。

「かんにん」とも読む。

律令制の下、官人には位階が与えられ、原則として位階に対応した官職に任じられた。

長官(かみ)
長官(かみ)

律令制の下、官庁には、長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう)・主典(さかん)の四等官がおかれた。

次官(すけ)
次官(すけ)

律令制の下、官庁には、長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう)・主典(さかん)の四等官がおかれた。

判官(じょう)
判官(じょう)

律令制の下、官庁には、長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう)・主典(さかん)の四等官がおかれた。

主典(さかん)
主典(さかん)

律令制の下、官庁には、長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう)・主典(さかん)の四等官がおかれた。

位階(いかい)
位階(いかい)

律令制の下、官人の序列を表す等級。

原則、位階に対応した官職に任じられた。

正一位から少初位下までの30階に分けられていた。

弾正台(だんじょうだい)
弾正台(だんじょうだい)

律令制下の官司のひとつ。

官人の監察や糾弾の任にあたった。

平安時代には、その役割は検非違使に取って代わられた。

蔭位の制(おんいのせい)
蔭位の制(おんいのせい)

律令制において高い位階をもつ官人の子や孫には、特定の位階を与える蔭位の制が適用された。

五畿七道(ごきしちどう)
五畿七道(ごきしちどう)

律令制で定められた地方行政区画。

「山城」「大和」「河内」「和泉」「摂津」の五畿と、「東海道」「東山道」「北陸道」「山陰道」「山陽道」「南海道」「西海道」の七道。

畿内(きない)
畿内(きない)

京に近い国々(山城国、摂津国、河内国、大和国、和泉国)を指す呼称。

現在の「首都圏」の概念に近い。

山城国(やましろのくに)
山城国(やましろのくに)

畿内に属する。

摂津国(せっつのくに)
摂津国(せっつのくに)

畿内に属する。

現在の大阪府と兵庫県にまたがって存在した国。

河内国(かわちのくに)
河内国(かわちのくに)

畿内に属する。

大和国(やまとのくに)
大和国(やまとのくに)

畿内に属する。

和泉国(いずみのくに)
和泉国(いずみのくに)

畿内に属する。

東海道(とうかいどう)
東海道(とうかいどう)

伊賀・伊勢・志摩・尾張・三河・遠江・駿河・甲斐・伊豆・相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸の15か国。

東山道(とうさんどう)
東山道(とうさんどう)

近江・美濃・飛騨・信濃・上野・下野・陸奥・出羽の8か国。

北陸道(ほくりくどう)
北陸道(ほくりくどう)

若狭・越前・加賀・能登・越中・越後・佐渡の7か国。

山陰道(さんいんどう)
山陰道(さんいんどう)

丹後・丹波・但馬・因幡・伯耆・出雲・石見・隠岐の8か国。

山陽道(さんようどう)
山陽道(さんようどう)

播磨・美作・備前・備中・備後・安芸・周防・長門の8か国。

南海道(なんかいどう)
南海道(なんかいどう)

紀伊・淡路・阿波・讃岐・伊予・土佐の6か国。

西海道(さいかいどう)
西海道(さいかいどう)

現在の九州地方。

筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後・日向・大隈・薩摩の9国と壱岐・対馬の2島。

大宰府(だざいふ)
大宰府(だざいふ)

西海道に置かれた律令政府の出先機関。

西海道の行政と外交・防衛を担った。

大宰府の場所(だざいふのばしょ)
大宰府の場所(だざいふのばしょ)

九州北部です。

関(せき)
関(せき)

関所(せきしょ)ともいう。

街道の要所や国境に設け、軍事上の防衛や通行人の所有物の検査にあたったところ。

鈴鹿関(すずかのせき)
鈴鹿関(すずかのせき)

伊勢国にあった関。

近江国を取り囲むように作られた重要な三関のうちのひとつ。

不破関(ふわのせき)
不破関(ふわのせき)

美濃国にあった関。

近江国を取り囲むように作られた重要な三関のうちのひとつ。

愛発関(あらちのせき)
愛発関(あらちのせき)

越前国にあった関。

近江国を取り囲むように作られた重要な三関のうちのひとつ。

国・郡・里(こく・ぐん・り)
国・郡・里(こく・ぐん・り)

律令の規定の下に置かれた行政区。

数里で郡、数郡で国を編成した。

国司・郡司・里長を置いた。

駅制(えきせい)
駅制(えきせい)

律令制下において、中央と地方を結ぶ交通制度。

駅路と駅家が設けられた。

駅路(えきろ)
駅路(えきろ)

都と国府を結ぶ官道で、約16キロごとに駅家を設けた。

駅家(えきか/うまや)
駅家(えきか/うまや)

人馬が配され、駅鈴を持つ役人が利用した交通制度。

東海道や東山道などの幹線道路に一定の間隔ごとに置かれた。

官道(かんどう)
官道(かんどう)

中央と地方機関を結ぶための経路として国家によって管理・整備された道路のこと。

大官大寺(だいかんだいじ)
大官大寺(だいかんだいじ)

藤原京に建てられた寺。

舒明天皇時代に建設された百済大寺が移転したものとも考えられている。

のちに都が平城京に遷された際、大官大寺も平城京に移されて大安寺となった。

僧綱(そうごう)
僧綱(そうごう)

僧正・僧都・律師といった役職からなり全国の寺院を統括する官職。

元明天皇(げんめいてんのう)
元明天皇(げんめいてんのう)

661年 - 721年

持統天皇の妹。

第43代天皇(在位:707年 - 715年)。女帝。

息子の文武天皇の崩御に伴い即位。

元明天皇の治世のときに皇朝十二銭の端緒である和同開珎が作られる。

奈良に都を移して平城京とする。

和同開珎(わどうかいちん)
和同開珎(わどうかいちん)

708年に鋳造された銭貨。

また、和同開珎を含んで以降律令政府が鋳造した12種類の銅銭を皇朝十二銭という。

皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)
皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)

和同開珎から始まる、律令政府が鋳造した12種類の銅銭。

本朝十二銭ともいう。

石上神宮(いそのかみじんぐう)
石上神宮(いそのかみじんぐう)

大和国の石上の地にある神宮。

江戸時代の発堀調査で出土した遺物から、4世紀ごろからその地で祭祀が行われていたと考えられている。

この神宮には七支刀が伝世している。

参考
石上神宮[いそのかみじんぐう]公式サイト|奈良県天理市

七支刀(しちしとう)
七支刀(しちしとう)

石上神宮に伝わる、百済から送られたとされる特異な形態の刀。

参考
ご由緒【七支刀(しちしとう)】|石上神宮[いそのかみじんぐう]公式サイト|奈良県天理市

上宮聖徳法王帝説(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)
上宮聖徳法王帝説(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)

平安時代中期に成立したとみられる厩戸皇子の伝記を中心とした書物。

仏教は538年に伝来したとする記述がある。